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鹿島の決壊を防いだ門番・昌子源。
世代交代とタイトル、二兎を追う。

posted2016/12/02 11:00

 
鹿島の決壊を防いだ門番・昌子源。世代交代とタイトル、二兎を追う。<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

鹿島伝統の「3番」は肉体的にも、精神的にもタフでなければならない。昌子にもその風格が備わってきた。

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

PROFILE

photograph by

Kiichi Matsumoto

「鹿島はタイトルを獲らないといけないチーム。今年は獲らなきゃいけない年だと思っている。そのために自分は全力を尽くさないといけないし、その先に日本代表やW杯があると思っている」

 鹿島アントラーズのセンターバック、昌子源の覚悟は相当なものだった。この言葉は今年2月に彼が口にしていた言葉だ。

 彼が心の底から強く思い続けていること。それは“常勝・鹿島”の復権にある。

 鹿島と言えばJリーグ最多のタイトル獲得数を誇る、まさに名門クラブだが、近年はそのタイトルから遠ざかる時期もあった。その最大の要因として、クラブが選んだ“世代交代”があった。

 世代交代は口では簡単に言えるが、実現しようとするには相当なエネルギーと時間を要する。だからこそ、どのチームも実行したくても実行出来ないジレンマが生じる。目の前の勝利を優先するのか、将来のクラブの有るべき姿を優先するのか。この“勇気あるチャレンジ”を実行してきたのが鹿島だった。

“黄金世代後”を受けて台頭したのが昌子だった。

 1979年生まれの“黄金世代”。その中心人物だった小笠原満男、曽ヶ端準、中田浩二、本山雅志が1998年に鹿島に入団すると、2000年から2001年に掛けて彼らを中心にしたチームにすべく、世代交代を図ったのが象徴的な出来事だ。

 あの時と同じように、鹿島は2013年から本格的な世代交代に着手する。この中心人物になったのは昌子だった。プロ2年目の2012年からJデビューを飾り、2013年はリーグ4試合出場(先発1試合)に留まったが、2014年にはリーグ全試合スタメン出場を果たした。

 CBという経験と人間的な強さを要するポジションを託されること自体が、大きなプレッシャーであり、期待の大きさであった。しかも、コンビを組んだのが自分より年下の植田直通とあって、彼にはただのCBとしてではなく、守備のリーダーとしての役割も同時に託された。

【次ページ】 常勝・鹿島のはずがリーグタイトルから遠ざかった。

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