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不慣れなお立ち台と、堂々たるプレー。
FC東京は室屋成の復帰を待っていた。 

text by

飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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photograph byJ.LEAGUE PHOTOS

posted2016/07/13 07:00

不慣れなお立ち台と、堂々たるプレー。FC東京は室屋成の復帰を待っていた。<Number Web> photograph by J.LEAGUE PHOTOS

スポーツ推薦で明治大学に入学しながら、休学も退学もせずにプロになった室屋成。彼が成功するかどうかは、モデルケースとしても大きな意味を持つ。

森重に、河野に、そして城福監督に支えられ。

 先輩に助けられたのは、リハビリ中ばかりではない。J1デビュー戦のピッチでは、A代表でプレーするセンターバックの森重真人が巧みなポジショニングで室屋がパスを受けやすくし、右サイドでコンビを組んだ河野広貴は「とにかく自由にやっていいよ」と伝えてサポートに回ってくれたという。

「本当に周りが合わせてくれて、助けてくれたような試合でした」

 ルーキーがケガを乗り越え、J1デビュー戦でハツラツとプレーできた背景には、先輩たちの支えがあったのだ。

「彼をずっと待っていた」

 FC東京を率いる城福浩監督の、甲府戦を迎える前の言葉である。それは、試合後のどんな褒め言葉よりも、室屋への期待と評価を表しているように思える。

リオで成長した室屋が、FC東京反撃の力に。

 室屋の復帰をずっと待っていたのは、城福監督だけではない。リオ五輪日本代表を率いる手倉森誠監督も待ち焦がれていたひとりだろう。

 6月12日のJ3で実戦復帰し、18日のセレッソ大阪U-23戦と26日のグルージャ盛岡戦では先発したが、まだフル出場の経験がなかった室屋を6月29日のU-23南アフリカ戦でさっそく先発させた。

 同じく右サイドバックの松原健が67分にピッチサイドに立ったとき、交代するのは室屋だと思われた。ところが、松原は左サイドバックの亀川諒史との交代でピッチに入り、室屋は左サイドに回り、ピッチの上で試合終了のホイッスルを聞いた。

「90分できたのは自信になったし、それを代表でやれたのは大きい。左サイドでのプレーは、めっちゃ久しぶりでした」

 試合後、室屋はそう振り返ったが、彼の回復具合を確認した指揮官は、ユーティリティ性までテストし、この右サイドバックをリオ五輪に臨むメンバーに選出した。

 FC東京にとってもどかしいのは、復帰を果たし、上々のJ1デビューを飾った右サイドバックが、あと2試合プレーしたのち、リオ五輪に出場するためチームを離れなければならないことだろう。

 だが、世界大会で強豪国と戦って得た自信や手応えが、ときとして若い選手を化けさせることがある。アジア最終予選での活躍で自信を膨らませたように、リハビリを乗り越えて精神的に成長したように、オリンピックを経験して逞しさを増して戻ってくる室屋が、FC東京反撃の大きな力になるはずだ。

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