“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
絶対に負けられないU-19日本代表。
新風を吹き込む2人の18歳を検証。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2016/04/21 07:00
合宿最終日のガンバ大阪戦でのスターティングメンバー。前列右端が遠藤渓太、その隣が森晃太。
兄と同じJ1のステージに立ち、さらに代表まで!
「甲府には本当に感謝しかありません。兄がトップ昇格をしている分、僕もしたかったけど出来なかった。兄がさらに遠い存在になったと思ったけど、こうして同じJ1のクラブに入って、ピッチに立つことが出来ていることは凄く嬉しい」
兄とは違う、新たな道を切り開いた彼は、開幕戦でいきなりベンチ入りを果たし、第2節のG大阪戦でJデビューを飾った。その後もコンスタントに出番を掴み、3月のU-19日本代表合宿に初招集されるまでになった。
「悔しさが今のベースになっていることは間違いありません。グランパスでトップに上がれなかった分、甲府と代表で頑張ることで、みんなに成長した姿を見てもらいたい。だからこそ、もっともっと上手くならないといけない」
ギリギリのチャンスに懸けていた遠藤。
遠藤渓太は昨年の夏まで、今のステージに立っていること自体が想像出来ないような選手だった。
横浜F・マリノスのジュニアユースからユースに無事昇格をしていた彼だったが、この年代のチームは“不遇の年代”でもあった。彼らの年代で注目の的となっていたのはFW和田昌士。年代別代表にいつも名を連ね、一昨年はマンチェスター・シティの短期留学も経験し、高3の段階でトップチームに帯同するなど、まさにエースだった。
和田の注目が高まる一方、遠藤ら他の3年生は人数も極端に少なく、当時の横浜FMユースのレギュラー11人の中で7~8人を2年生が占めるという有様だった。そのスタメンの数少ない3年生の1人が遠藤だったが、あくまでもこのチームの絶対的エースは和田であり、遠藤ではなかった。
「3年になっても、僕がプロに上がれる確率はほぼ無かった。それは現実として受け止めていて、僕も大学に行くつもりだった」
ずば抜けたスピードがあり、ドリブルの切れ味は鋭い。しかし連続性の部分で問題があり、フィニッシュまで到達しないことも多く、相手の脅威になりきれていなかった。
ずっと“能力はあるが、目に見える評価が出来ない選手”と見なされていたのだ。
だが……それは昨夏までの話となった。
「ほぼ絶望的だったけど、完全に無くなったわけではないと思っていた。ほんの、ほんの僅かに残っている可能性に懸けたかった。夏のクラセン(日本クラブユース選手権、7~8月にかけて群馬県と神奈川県で開催)で活躍することが、本当のラストチャンス。これに懸けていた」