プロレスのじかんBACK NUMBER
今度はベルトが俺を追いかける。
新IWGP王者、内藤哲也の生き方。
text by
井上崇宏Takahiro Inoue
photograph byMasashi Hara
posted2016/04/19 10:30
オカダに完全勝利し、会場全体を興奮の坩堝と化した内藤。新日での存在感は急檄に増大している。
「何も掴めなかったら、プロレスラーとして終わる」
ここ数年、ブーイングはさらに激しさを増した。
内藤は新日本の本隊という立ち位置でやっていて、“本隊としての内藤哲也”をまっとうすることがプロレスラーとしての自分のやるべきことだと信じていた。品行方正なプロレス。本当は他に表現してみたいこともあったのだが、それをやったら本隊という枠をはみ出してしまうことになる。それは本隊の一員として違うだろうし、ファンが観たいものじゃない。ずっとそんな固定観念を持っていた。
2015年5月、迷える内藤は単身メキシコに渡った。以前から会社にメキシコ行きを志願していて、それが叶ったのだ。
もう後がないという思いがあった。
メキシコに行く前、アメリカで新日本とROHの合同興行に参加したから、このアメリカ~メキシコの海外遠征はトータルすると1カ月半もの期間となった。
「これは絶対にチャンスだ」
内藤ぐらいのキャリアになると、そんなにも長期間、日本を離れるということはほぼ不可能に近い。それが可能となったのだ。ここで何かを掴むチャンス、状況を、そして自らを変えられるチャンスだと思った。
「逆にここで何も掴めなかったら俺はプロレスラーとして終わる」
そんな悲壮感もあった。
メキシコで見つけた“制御不能”スタイル。
現地では、2009年にメキシコ遠征に行ったときから交流のあったラ・ソンブラ、ルーシュといった面々と合流をした。彼らは“ロス・インゴベルナブレス”なるユニットを結成していた。
ロス・インゴベルナブレスとは「制御不能」という意味。久しくメキシコの事情を追うことをしていなかった内藤は、彼らの立ち位置はそういう感じに変わったんだなと思ったが、変わったのは立ち位置だけではなかった。すべてが以前の彼らとはまったく違っていた。
自分たちのやりたいことをやりたいように、自由にやっている。観客の反応も聞こえているのか、いないのか。まるで人から観られていることなど、忘れているかのようだった。
一貫して自分たちが本当にプロレスで表現したいことをやる。それが制御不能というユニットの正体だった。
日本では常に観客の反応を気にして試合をしていた自分。観客をなんとか喜ばせたくて、しかし思うようにいかない自分。彼らはそんな自分とは対極のプロレスをやっている者たちだった。カルチャーショックを受けた。
「ここはメキシコ。日本のファンも関係者もいない。俺も他人の目を気にせずにやってみよう」
ロス・インゴベルナブレスの一員となった内藤は、彼らのプロレスに同調した。それが今の内藤のスタイルである。