プロレスのじかんBACK NUMBER
今度はベルトが俺を追いかける。
新IWGP王者、内藤哲也の生き方。
text by
井上崇宏Takahiro Inoue
photograph byMasashi Hara
posted2016/04/19 10:30
オカダに完全勝利し、会場全体を興奮の坩堝と化した内藤。新日での存在感は急檄に増大している。
入門後、いきなり高い評価を受けた内藤。
入門後も、いわゆるプロの洗礼を受けることがなかった。
初めて合同練習に参加したときのこと。当時道場のコーチを務めていた山崎一夫が、内藤にとある先輩レスラーとスパーリングをやるように指示をした。
その先輩はアマチュア競技で好成績をおさめていた鳴り物入りのエリートだったが、内藤は一度も極められることなくおよそ10分のスパーリングは終わった。この光景を見ていた周囲の先輩レスラーたちが一様に少し驚いた表情を浮かべたことに気づき、内藤は「いいアピールができたな」と内心ニヤリとした。
その日以降も、どんな選手とスパーリングをやっても圧倒されることはなかった。むしろグラウンドがあまり得意ではない先輩には勝っていたほどで、持ち前の身体能力の高さもあり、内藤はわずか半年でデビューを果たすことになる。新人離れした試合内容は、すぐに高い評価を受けるようになった。
そして内藤哲也のデビューからおよそ1年後の2007年7月。1人の選手が他団体から移籍をしてきた。
岡田和睦、のちのオカダ・カズチカである――。
コイツは新日本じゃないよ……。
当時の内藤にとって、新日本プロレス所属のレスラーとは、新日本の入門テストを受けて合格をし、新日本での練習生時代を経て、厳しいジャッジをくぐり抜けて新日本のリングでデビューをする。そして、その後もずっと新日本で活動を行なっていく者のこと、という定義があった。
だから岡田が移籍をしてきたときは「これはちょっと違うだろ」と思った。
しかるべき段階を経ていなくても新日本の所属になれるのか?
そんな特別扱いが許されていいものなのか?
しかも、実際に練習をしてみるとオカダは体力もなく、合同練習についてくることができなかった。おそらく入門テストを受けていたら合格していなかっただろう。これじゃ、たとえいつか新日本のリングで試合をするようになったとしても、コイツは新日本じゃないよ。
そんな腹立たしさと同時に、年齢の若さや身長191cmという恵まれた体格が脅威に感じなかったと言えば嘘になる。