プロレスのじかんBACK NUMBER
今度はベルトが俺を追いかける。
新IWGP王者、内藤哲也の生き方。
text by
井上崇宏Takahiro Inoue
photograph byMasashi Hara
posted2016/04/19 10:30
オカダに完全勝利し、会場全体を興奮の坩堝と化した内藤。新日での存在感は急檄に増大している。
「俺はいつかあのリングに立つ」という誓い。
東京育ちだからプロレスを生観戦する機会も多かったが、それまではいつも父に連れられて行ってばっかりだったのが、その日は初めて自分たちでチケットを買って観に行った。中学生のお小遣いで買えるチケットは、一番安い2階席。後ろから2列目の席でリングは遠く離れていたが、あの新日本の空間にいられるだけで、気分は高揚した。
そして大会終了後、遠くの小さなリングを見つめ、「俺もいつかあのリングに立つ」とひそかに誓った。
高3の8月、最後の大会の公式戦で敗れてサッカー部を引退すると、ついに夢を叶えるために行動に出た。9月に浅草にあるアニマル浜口トレーニングジムの門を叩いたのだ。ここは知る人ぞ知るプロレスラー養成所というべきジムで、過去には小島聡や大谷晋二郎らもここで鍛え、新日本の入門テストに合格したという実績がある。内藤の地元からは電車で易々と通える距離ということもあり、高校卒業まで待てずに入会をした。
入門テストをぶっちぎりの成績で勝ち抜く。
当時の浜口ジムでは非常に厳しい練習が行われていた。プロレスラーを志す若者ばかりが集まる中、“キャプテン”と呼ばれるベテラン会員の指示のもと、基礎トレーニングやサブミッションレスリングの練習が延々と行われる。スパルタというほどではないが、つい熱くなり激しく叱責するキャプテンを、普段は黙って練習を見守っているだけのアニマル浜口さんが制するという場面もしばしばあった。
「新日本の入門テストに合格することは簡単なことではない。たとえ合格したとしても、入ってからの練習も厳しく、ついて行くことも難しいから、デビューできるかどうかはわからない」
そんな思いを抱えたまま、気がつけば浜口ジムに在籍してトレーニングを開始してから5年もの歳月が流れていた。よその格闘技ジム主催の大会に出場して好成績をおさめることぐらいは、さほど驚く出来事ではなかった。
そして2005年11月3日、後楽園ホールで行われた新日本プロレスの公開入門テストを受験し、内藤はぶっちぎりで合格を果たした。内藤を含めた10人が参加したこの日のテスト、その最中に5年間の浜口ジムでの厳しい練習がまったく無駄ではなかったことを悟る。無駄でないどころか、すべてのメニューを淡々とこなし他者をぶっちぎったのた。準備万端。焦らずにやってきたことが功を奏した。
「もし今日のテストで一人でも合格者が出るとしたら、それは間違いなく俺だ」
父も後楽園ホールに来ていて「これ受かっちゃうんじゃないかな」と思っていたという。
親子でそう確信していたときに合格を告げられ、「当然だ」と胸を張ったが、そのあとやっぱり嬉しくなって友達や知り合いに報告の電話をかけまくった。
ついに、あの憧れの新日本プロレスに入門することが決まったのだ。