“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
2度のU-19選手権敗退の屈辱を越えて。
遠藤航、キャプテンとして掴んだ五輪。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakuya Sugiyama
posted2016/02/02 10:50
2度世代代表としてアジアで味わった屈辱を越えて、遠藤のこの笑顔がある。
「僕はアジアの厳しさを知っている」
繰り返される屈辱。そして、この大会を期に決定的になった「アジアで勝てない世代=弱い世代のレッテル。これを背負い続けながら、遠藤は今大会を迎えていた。
「僕はアジアの厳しさを知っている」
最後の屈辱から3年間、彼は常にこの言葉を口にしていた。すべてはリオ五輪のキップを掴み、アジアを制するために。自らの矜持を持って、まっすぐに前進し続けてきた。
「日本を出発する時は、優勝するイメージもあったけど、『負けたらどうしよう』という思いもあった」
ポジティブとネガティブが入り交じる感情もあったが、彼はその思いを悟られることなく、AFC U-23選手権予選(リオ五輪アジア1次予選)から託されたキャプテンマークを巻いて、先頭に立ち続けた。
「先制された時、追いつかれた時に自分がどういうことをしなければいけないか、常にイメージをしていた。士気を下げることなく、自分が周りに『チームとして戦うぞ』と鼓舞していく。そのイメージを純粋にプレーに還元できた」
強い意志で、レッテルを力強くはぎ取った。
望んでいなかった経験の数々が、彼の中で勝利へのノウハウとなって積み上がっていた証だった。ポジションこそこれまでのCBではなく、ボランチだったが、3度の屈辱を力に変え、最初から最後までキャプテンとして、堂々たる立ち振る舞いを見せた。それがチームに一体感を生み出し、これまで屈辱を受け続けたイラン、イラク、韓国を撃破してのアジア制覇を成し遂げた、大きな一因となったことは間違いない。
帰国の途に就いた遠藤は、改めて自分のキャプテンとしての責務について聞かれ、こう答えた。
「キャプテンとして、何ができたのかってことはあんまり自分では分からないですけど、自分としては選手から信頼される選手であること。そこだけは自分の中では持ち続けてやることができたと思います」
遠藤は強い意志で、強烈なコンプレックスと貼られたレッテルを力強くはぎ取った。
だが、これですべてが清算された訳ではない。新天地の浦和でレギュラーを掴み、リオ五輪の最終メンバー入りをし、結果を残す。そして、その先にあるA代表でのW杯出場。まだまだやるべきことは多い。
試練の先に栄光がある。そして、栄光の先に再び試練が待つ――遠藤航はさらに強くなっていくに違いない。