“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
2度のU-19選手権敗退の屈辱を越えて。
遠藤航、キャプテンとして掴んだ五輪。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakuya Sugiyama
posted2016/02/02 10:50
2度世代代表としてアジアで味わった屈辱を越えて、遠藤のこの笑顔がある。
ペナルティーエリア際、痛恨のファールを。
ロングボールを受けるチョン・スンヨンへの対応が遅れ、遠藤はペナルティーエリアのギリギリ外でファールを犯し、FKを与えてしまう。このFKがGKのミスを誘い、痛恨の逆転弾を生んでしまった。
後半も変わらぬサッカーを展開してくる韓国に対し、もう日本はなす術がなかった。3-2。2つの失点に絡んでしまった遠藤は、タイムアップのホイッスルが鳴り響き、U-20W杯のキップを失った瞬間、ピッチに呆然と立ち尽くすしかなかった。
「悔しい。相手FWの高さと強さに、自分が対応するのに時間がかかってしまい、前半はほとんど競り負けて、それが失点に繋がってしまった」
打ちひしがれる遠藤に、更なる追い打ちが掛かった。試合後の当時のU-19韓国代表を率いていたイ・グァンジョン監督の言葉だ。
遠藤が相手の狙い目になってしまった。
「相手のCBの身長がそこまで大きくなかったので、セットプレー、クロス、サイドチェンジを活用して、チ・ドンウォンとチョン・スンヨンのツートップの高さとキープ力を軸に攻撃しようと強調した。展開を見ていて、いくらでも逆転は可能だと思っていた」
当時の遠藤の身長は176cm。はっきり言って、CBとしてのサイズ感は乏しい。それでも読みの鋭さとビルドアップ能力、そして展開力を評価され、このポジションを任されたが、根本的な部分で相手に凌駕され、相手の狙い目となってしまったのだった。
そして、あの屈辱から1年後。AFC U-19選手権予選にU-18日本代表として出場をし、再びU-20W杯を目指す道のりが始まった。最年少から一転し、今度はチームの最年長、そしてキャプテンとして、チームを牽引する存在となっていた。
だが、いきなり試練が待ち受けていた。AFC U-19選手権予選は言わば「U-20W杯アジア1次予選」。タイで行われたこの大会において、2勝1分けの状況で、最終戦の韓国に挑んだが、またしても0-1の敗戦。タイ、韓国に続いてグループ3位という屈辱的な結果に終わり、あわや1次予選敗退の危機に直面した。幸運にも他グループの3位同士との成績で上位に入ったため、AFC U-19選手権の進出が決まったが、「この世代は弱い」というイメージが生まれてしまう契機になった。
そして、それに追い討ちをかけたのが、2012年11月にUAEで開催されたAFC U-19選手権だ。