スポーツ・インテリジェンス原論BACK NUMBER
箱根の「定位置」を失った中央大学。
輝かしい記憶と“負の記憶”の間で。
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byHideki Sugiyama
posted2015/09/07 10:30
2008年に中央大学の駅伝監督に就任した浦田春生氏。自身もバルセロナ五輪などに出場したエリートランナーであり、母校復活に全てをかける。
2015年の10区で多田要に起こった悲劇。
2015年の箱根駅伝は、そのネガティブなイメージを払拭する最大のチャンスだった。
しかし、レース当日のエントリー変更の締め切りの時間が過ぎてから、多田はアップで脚に異常を感じ、付き添いの選手にそう訴えていた。
付き添いにはすぐにでも替わって走れる選手を用意していたが、変更が締め切られているとあってはなす術はない。多田は大いなる不安を抱えたまま、走り出した。
走り出すとやはり、多田は本調子とは程遠く、後続のランナーに抜かれていく。シード権は諦めなければいけない状況になった。
浦田監督は迷った。
「抜かれてはいましたが、後ろから見る限り、無理をしなければ走りきれると思いました」
こうした判断は、普段から練習を見ている監督、コーチにしか分からないものだ。
「棄権すべきか、それとも中大のタスキを大手町まで持っていくべきか。もちろん、多田には卒業後の競技人生もありますから、そうしたことも判断材料に入れなければいけません。あらゆることを考慮に入れて、慌てず、最後まで確実に走っていくことに決めました」
そう心に決めた後も、浦田監督は最後の最後まで葛藤があった。
やめさせれば、多田には精神的なトラウマが残る可能性もある。あるいは、走り続けることでの身体的なダメージがあるかもしれなかった。
おそらく「正解」はなかった。多田は走りきった。
「これからの努力次第で、挽回可能なこと」
レース後、中大のメンバーに話を聞くのははばかられたが、立派だったのは、主将の永井秀篤である。
「もちろんこの結果は悔しいですが、中大にとっても多田にとっても、これからの努力次第で、挽回可能なことだと思うんです」
悔しさをにじませることもなく、淡々と語ってくれたのが印象的だった。
卒業を前にした多田に、浦田監督はこう声をかけたという。
「しっかり治療して欲しい。こういう結果にはなったけれど、この経験を受け止めて、競技で挽回できる。もっと強くなって欲しい」