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箱根の「定位置」を失った中央大学。
輝かしい記憶と“負の記憶”の間で。
posted2015/09/07 10:30
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
Hideki Sugiyama
3年ぶりのシード権獲得は間近だった。
2015年1月3日、箱根駅伝に挑んだ中大は9区が終わった時点で8位。このままの順位をキープすれば、中央大学にとっては「定位置」とでもいうべきシード圏内に帰ってくるはずだった。
最終10区のアンカーは、4年生の多田要。信頼感の厚い最上級生。ところが走り出すと、多田の走りが思わしくない。脚に故障が発生していたのだ。落ちていく順位。それでも、多田は大手町まで中大のタスキを運び、19位でフィニッシュした。
中大は箱根駅伝で最多14回の優勝を誇る“超”のつく名門校だ。
1964年、東京オリンピックの年までに40回中13回の優勝。1970年代後半からは一時期低迷したが、日本テレビが中継を始めた1987年から2003年までは、1996年の優勝を含め、必ず5位以内をキープしてきた「安定大学」だった。
1985年以来キープしてきたシードが途切れた。
しかし、ここ数年は苦戦を強いられた。ひとつには、受験界で「MARCH」と呼ばれる学校のなかで、特に明治大と青山学院大が強化に力を入れ、中大に入学していた高校の選手が、その2校に入ることが多くなっていた。
最大の打撃は2013年、強風が吹きすさび、気温が極端に低くなる悪コンディションの状況で中大は5区箱根山中で無念の棄権、タスキが途切れてしまった。1985年以来、ずっとシード権をキープしてきたが、ここでその記録はストップした。
復活を期した翌2014年も15位に終わり、浦田春生監督も針のむしろの上に座った思いだっただろう。
「棄権した年には、たしかに私の進退問題も取りざたされました。なんとか復活の軌道に乗せるべく、その後も監督を続けることになりましたが、選手たちには棄権したシーンのイメージが強すぎて、それをなかなか払拭できない期間が続きました」