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悲願のメダルを生んだ「先人の土台」。
谷井孝行の快挙は、競歩界の総力だ。
posted2015/08/31 16:30
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
AFLO
8月29日、世界選手権の競歩50kmで谷井孝行が銅メダルを獲得し、荒井広宙が4位入賞を果たした。
谷井は昨年のアジア大会で金メダルを獲得、世界ランキング3位で臨んだ大会で、日本競歩にとってオリンピック、世界選手権を通じて初のメダルをもたらしたのである。
快挙を成し遂げた谷井は、レース後こう言った。
「土台作りをしてくれた先輩方は偉大です。やっとメダルを獲ることができました」
その言葉には、競歩の歴史と変化を肌身で感じてきたからこその重みがあった。
今大会では残念ながら棄権を余儀なくされたが、20kmの世界記録保持者の鈴木雄介ら多くの選手が成長し国際大会でも実績をあげている競歩。だが少し前までは、苦闘の歴史が続いた。
オリンピックに初めて出場したのは、1936年のベルリン大会50kmの奈良岡良二。このとき19位の結果を残している。
その後、初めての入賞者が出たのは、ベルリンから実に72年が過ぎた2008年北京五輪である。50kmで7位となった山崎勇喜で、今日までで唯一の五輪入賞記録である。
世界選手権に目を転じてみれば、富士通コーチおよび日本陸上競技連盟の競歩部長を務める今村文男が1991年東京大会の50kmで7位となったのが初の入賞である。今村は、1997年のアテネでも6位になっている。成績で見れば、今村の孤軍奮闘のような状況にあった。
その後、2000年代に入ってから時折入賞者が出るようになり、現在に至る。
つまり、競歩が日本にとって重点種目になってきたのは、2000年代以降のことなのである。
アルバイト生活などで競技を続けた先人たちの苦労。
そもそも競歩が苦戦してきたのは、どうしても注目度が低く、普及という点などを含めても、国内の競技としての厚みに欠ける時期が長く続いていたことが大きい。つまり指導者の数も少なく、1990年代あたりにはどのようなトレーニングを行なえばよいのか、体系的に定まっているとは言いがたい状態にあり、国全体での試行錯誤というのが実情だった。
一時期今村がアルバイト生活で競技を続けるなどしたように、選手あるいは周囲の支えによって、個々に取り組んでいる状況と言ってもよかった。