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ドイツでの最終戦は大団円になるか。
クロップが母国と日本人に残した物。
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byAFLO
posted2015/05/08 10:30
ドイツでの香川真司のサクセスストーリーは、常にクロップとの二人三脚だった。彼が去ったあと、ドルトムントは果たしてどんなチームになるのだろうか。
日本人選手に通訳がつくのも、香川がきっかけ。
クロップとともに選手獲得について話し合いを重ねてきたツォルクSDは、香川と同時に通訳の山守氏を加えたのもクロップが強く望んだことを明かしている。
「監督はコミュニケーションを大事にする人だから、僕らが何を求めているかを選手に伝えなければならないと考えていた。もちろん、彼が何を望むのかも知らなきゃいけない。だから、ドイツ語を十分に理解できるようになるまで、ジュンペイ(山守氏)が僕らにとって非常に大きい存在となったのだ」
香川の活躍を機に、ドイツにやってくる日本人選手の数は一気に増えたが、期間の差こそあれ、その大半の選手に通訳がついている。それは香川が活躍できた背景を多くのチームが理解したからであり、それも日本人選手の活躍を支えていると言える。そんなところにまで、クロップの影響は及んでいるのだ。
自身も家庭教師をつけて英語の勉強を続けてきた。
リーグ初優勝を成し遂げたころから、クロップ自身も家庭教師をつけて英語の勉強に取り組んできた。記者会見で英語で聞かれれば、普通に英語を使って答える。CLで準優勝したシーズンでは、CLで勝ち進むごとに外国メディアから質問を受けることも多くなった。
英国メディアからなまりのある英語で質問を受けることも多かったが、それを気にする様子はまったくなかった。
クラブチームの監督という激務のかたわらで、英語の勉強を着実に続けてきたあたりにも、彼がコミュニケーションをいかに重要なものだと考えているかがうかがえる。
その考えの裏には、英語を話せればドイツにやってきたばかりの外国人選手とも何気ない会話が直接できる、ということに加え、かねてから希望しているイングランドでの監督業という夢の実現という理由もある。退任会見の席でも、彼はこう自らのキャリアについてこう語っている。
「私は疲れ果てているわけではないし、ドルトムントを退いたあとに休むつもりはない」
つまり、イングランドへ行くという夢の実現に向けて種をまいたわけだ。