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ドイツでの最終戦は大団円になるか。
クロップが母国と日本人に残した物。
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byAFLO
posted2015/05/08 10:30
ドイツでの香川真司のサクセスストーリーは、常にクロップとの二人三脚だった。彼が去ったあと、ドルトムントは果たしてどんなチームになるのだろうか。
ドルトムントに勝つために、バイエルンがしたこと。
'10-'11シーズンにリーグタイトルをドルトムントに奪われたバイエルンは、タイトルを奪い返すべく翌シーズンの開幕前にボアテンクやノイアーらを補強した。当時のバイエルンは、苦汁をなめたシーズン後には、抜きん出た資金力を背景に大量補強をするというサイクルを繰り返していたのだ。
しかし、'11-'12シーズンもまた、マイスターシャーレはドルトムントの手に渡った。しかも'11-'12シーズンのドルトムントは、ブンデスリーガのシーズン最多勝ち点など、数々の記録を打ち立てた。つまりその時点で、ドルトムントはブンデスリーガ史上もっとも強いチームだったのだ。
ブンデスリーガの歴史に名を刻んだドルトムントに勝つために、バイエルンはマンジュキッチやハビ・マルティネスらに投資を続けた。マルティネス獲得に投じた4000万ユーロという移籍金は、今なおクラブ史上最高額だ。バイエルンの歴史上、例を見ない2年続けての大量補強だった。
その結果'12-'13シーズンには、クラブ史上はじめてブンデスリーガ、ドイツ杯、そしてCLの三冠を達成する。しかもブンデスリーガでは、前シーズンにドルトムントが打ち立てたシーズン最多勝ち点などの記録の多くを更新している。こうして、バイエルンはブンデスリーガ史上最強のチームとなった。その流れは'13-'14シーズンにグアルディオラが就任してからも変わっていない。
そして、そんなバイエルンのメンバーが中心となったドイツ代表が、ブラジルW杯での優勝を成し遂げたのだ。
バイエルンがそこまでの強さを手に出来たのは、クロップが作り上げたチームがそれだけ強かったからだ。
稀代のコミュ二ケーター、という顔。
では、なぜクロップはドルトムントを高みに導くことができたのだろうか。
それは、クロップがコミュニケーションに長けた人物だったからに他ならない。
ドルトムントのサッカーが特徴的であるため、戦術家と形容されることも多いが、むしろ稀代のコミュニケーターというのが彼の本質だ。