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激しくその生涯を駆け抜けた馬。
ステイゴールドはなぜ愛されたのか? 

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村本浩平

村本浩平Kohei Muramoto

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photograph bySeiji Sakaguchi

posted2015/02/13 11:30

激しくその生涯を駆け抜けた馬。ステイゴールドはなぜ愛されたのか?<Number Web> photograph by Seiji Sakaguchi

種牡馬として過ごす在りし日のステイゴールド。2014年終了現在、中央競馬における産駒のGI19勝はサンデーサイレンス後継種牡馬の中でディープインパクトに次ぐ2位である。

誰もが想像しなかった、引退レースでのGI勝利。

 しかし、この頃のステイゴールドはアウトローというよりも、まだ心身共に成長しきっていなかっただけとも言える。小柄な馬体をフルに生かせるだけの筋力を鍛え上げ、そして激しい気性をレースに向けられるようになったのが、初重賞制覇を遂げた6歳時、そして誰もが想像しえなかった海外遠征での勝利と、引退レースでGIタイトルを掴んだ7歳時ということなのだろう。

 初の海外遠征となったGIIドバイシーマクラシック。格はGIIとはいえ、世界各国からGI馬が集まってきたレースを勝利。日本だけでなく、世界もあっと言わせてみせる。ひょっとしたらこの頃から、ステイゴールドの規格は日本の枠をはみ出しはじめたのかもしれない。引退レースとなったGI香港ヴァーズでは、「最後の直線で瞬間移動した」と言われたほどの末脚を使って悲願のGI初制覇。この2つの勝利が高く評価されて、ステイゴールドに種牡馬への扉が開かれることになった。

種牡馬入り後も、決して恵まれた道ではなかったが……。

 だが、種牡馬入りしたステイゴールドを待っていたのは、またしてもアウトローとしての道だった。社台グループの生産馬ながら、その多くが引退後に繋養される社台スタリオンステーションに入ることはできず、日高地区のブリーダーズ・スタリオン・ステーション(後にビッグレッドファームと交互)に繋養されることとなる。

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 種牡馬入りした同年、社台スタリオンステーションには父サンデーサイレンスだけでなく、その後継種牡馬たちも繋養。しかもそれからもサンデーサイレンスの血を引く馬が多く種牡馬となっていく流れが出来上がっていた中で、競走成績、そして馬体共に強調材料に乏しいステイゴールドが入る余地はなかった。

 今度はそんな境遇に嫌気が差したのかどうかはわからないが、初めてのお披露目となる種牡馬展示会で、ステイゴールドは厩舎で手の付けようが無いほど暴れまくった。展示の順番が回ってきたところで仕方なく人の前に連れ出すと、途端におとなしく周回をはじめ、関係者を唖然とさせた。

 その時に見せた軽快な歩様、そして日高にとっては待望と言えるサンデーサイレンスの後継種牡馬であることも、生産者には高く評価されたのだろう。繋養初年度から177頭の繁殖牝馬を集めると、産駒には自身同様の小柄な馬体とともに、運動神経の良さと気性の強さも受け継がれ、初年度産駒のソリッドプラチナムがGIIIマーメイドSを制した。

【次ページ】 そしてドリームジャーニー、オルフェーヴルが誕生。

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