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震災から3年を経たそれぞれの思い。
相馬野馬追の侍たちが生きる日常。 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph byAkihiro Shimada

posted2014/08/03 10:40

震災から3年を経たそれぞれの思い。相馬野馬追の侍たちが生きる日常。<Number Web> photograph by Akihiro Shimada

市街地を練り歩く騎馬武者行列。前から3番目が大山ヒルズの佐藤弘典さん。

ワンアンドオンリーと相馬野馬追。

 今年の野馬追には、もうひとり私の知り合いが出陣していた。

 大山ヒルズのキッチンスタッフのチーフをつとめる佐藤弘典さんである。

 鳥取の大山ヒルズは、今年のダービーを勝ったワンアンドオンリーなどの馬主として知られる前田幸治オーナーが所有する競走馬のトレーニングセンターだ。フランスのレストランでシェフをしていたこともある佐藤さんは、従業員のための食事をつくるかたわら、新人に乗馬の指導もしている。そこのゼネラルマネージャーである齋藤慎さんの大学時代の乗馬の師匠も佐藤さんの教え子なのだという。

 南相馬で生まれ育ち、乗馬をしながら野馬追に出場していた佐藤さんは、故郷を離れて働くようになってから、野馬追に参加することもなくなっていた。ところが、昨年、十数年ぶりに参加し、そして今年も中ノ郷から、現地で余生を過ごす元競走馬のプロミシングアイズに乗り、出陣した。

「震災を機に、故郷に戻って野馬追に出る友人が多くなったんです。普段から競走馬の近くにいる自分も参加して、復興の手助けと言うとおこがましいですが、ひとつの力になれるといいな、と思いました。故郷の仲間たちとともに、意識を高揚させていくことができればいいですね」

 前田オーナーは、怪我だけしないよう気をつけろ、と快く送り出してくれたという。

野馬追を基準にした一年を生きるということ。

 この地と、ここに住まう家族や仲間を愛する気持ちが、伝統をつないでいこうという心意気になる。蒔田さんにとっても佐藤さんにとっても、故郷と野馬追は、自身の一部になっている――馬上にいる彼らの表情と言葉から、それが伝わってきた。

 彼らは普段から「野馬追基準」に従って生活している。私たちが、「正月までにこの仕事を終えよう」と考えるように、相馬の侍たちは、物事を始めるのも終わらせるのも野馬追の時期を基準にしている。

「おれたちの一年は、野馬追に始まって野馬追に終わるんですよ」

 と蒔田さん。建設業に従事する彼の会社は、今年、ひとつの工期を野馬追前日の7月25日に終えた。そして新たな工期が、野馬追翌日の29日に始まったのだという。

 先述したように、除染もままならない旧警戒区域ではなかなか復興が進まない。蒔田さんら南相馬市小高区の住民は、再来年の春には自宅に戻れると言われているというが、彼らはそれを半信半疑で受けとめている。

 だからといって、けっして復興を諦めているわけではない。

 相馬野馬追が、名実ともに相双地域の復興のシンボルとなるときまで、いや、もちろんそうなってからも、侍たちは熱い思いを胸に、出陣をつづける。

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