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震災から3年を経たそれぞれの思い。
相馬野馬追の侍たちが生きる日常。
posted2014/08/03 10:40
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by
Akihiro Shimada
千年以上の伝統を持つ国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」が、福島県の相馬市と南相馬市を舞台に、7月26日から28日まで行なわれた。
相馬野馬追は、鎧兜を身につけた侍たちが市街地を進軍する「騎馬武者行列」、旗指物を背負った騎馬武者による「甲冑競馬」、空高く打ち上げられた旗を奪い合う「神旗争奪戦」などが呼び物の、勇壮な祭りである。この世界最大級の馬の祭りに参加する馬の多くが元競走馬だ。
今年は約450騎の騎馬武者が参加。震災前の9割ほどの数だ。震災があった2011年は80騎、12年は400騎、13年は430騎ほど。こうして数字を見ると、震災と原発事故の被災地であるここ相双地域が着実に復興しつつあるかのような印象を受けるが、今年参加した約450騎のうち、小高郷と標葉郷の110騎は避難先からの出陣だった。自宅が原発から20km圏内の旧警戒区域内にあるため、出入りすることはできても、寝泊まりすることは認められていないのである。
亡き息子の魂を背負って出陣した騎馬武者。
私は今年も、小高郷の騎馬武者・蒔田保夫さんと行動をともにした。
昨年の当コラムに記したように、蒔田さんは、震災の前年まで19年連続で野馬追に参加していた。しかし、津波で当時20歳だった長男の匠馬さんと妻の両親を亡くし、喪に服すため'11年と'12年は参加せずにいた。昨年、3年ぶりに出陣して騎馬武者行列に加わり、そして今年は神旗争奪戦にも参加することになった。
騎馬武者は、左肩に役職を記した肩章をつける。蒔田さんは、自らの肩章の下に匠馬さんのそれをつけ、亡き息子の魂を背負って出陣した。
今年は次男の健二さんも出陣する予定だったのだが、実現しなかった。というのは、健二さんはこの春、南相馬市役所に就職が決まり、野馬追のとき最も忙しい観光課に配属されたからだ。当日は市の職員として業務に専念し、父の活躍を見守ることになった。