濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
立ち技界最大勢力、チームドラゴン。
王者を続々輩出する強さの秘密とは。
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byNorihiro Hashimoto
posted2014/06/11 16:30
チームドラゴンが誇るチャンピオンたち。後列左から時計回りに、卜部功也、卜部弘嵩、前田憲作代表、山崎秀晃、武尊、伊澤波人。
対戦相手の徹底研究をはじめたきっかけ。
対戦相手が“丸裸”になるまで研究するようになったのは、K-1ヘビー級への参戦がきっかけだった。2007年のこと、当時は無名だった澤屋敷純一がジェロム・レ・バンナと対戦する機会を得ると、世界トップクラスの豪打を読み切ってカウンターでダウンを奪い、判定勝利をものにしたのだ。
「ヘビー級はハードルが高かったですね。身体の小さい日本人が、どうやったら外国人に勝てるのか。そのために相手を研究するようになったんです」(前田)
また、チームドラゴン設立当時のキック界では、ジムが団体(連盟・協会)に所属するのが普通だった。フリーのチームとしてさまざまな団体に選手を出場させていたチームドラゴンは、どこに行っても“外様”“外敵”だった。
敵地で、あるいは圧倒的な体格差がある相手との闘いでいかに勝つか。それが、Krushという主戦場を得た今でも変わらない、チームドラゴン初期からの本領なのだろう。
チームドラゴンに入り、ファイトスタイルが一変した武尊。
K-1という大舞台で結果を残したこともあって、チームドラゴンには全国各地からプロ格闘家を志す若者が集まってくるようになった。「強くなって有名になるならここだと思って入門しました」と語ったのは伊澤。山崎は京都、武尊は鳥取でキックボクシングを学んでいたが、より強くなるために上京してきた。卜部兄弟はもともと出稽古で通っていたが、それでは飽き足らずに地元の千葉から町田に引っ越してきた。
「みんな、ちょっとやそっとの思いで東京に出てきたわけじゃないんですよ。懸けてるものがデカいんです」と山崎。武尊は「覚悟を持ってここに入ってますから。簡単に田舎に帰るわけにはいかない」と言う。
とはいえ“もともと優秀な素材が集まるからチームドラゴンは強い”というだけではなさそうだ。前田にあらためて基礎を叩き込まれた武尊は、ファイトスタイルが一変したという。
「地元ではムエタイ系のジムに通ってたので、蹴り主体のスタイルだったんですよ。今みたいにパンチでラッシュするようになったのは、チームドラゴンに入ってからですね」
前田いわく「ウチの練習は他のジムより厳しいし、量も多いと思いますよ」。プロになるためには、アマチュア大会『新空手』のトーナメントで優勝するという明確かつ厳しい課題も設定されている。卜部弘嵩は「仲間がやめていくのを何度も見てますから、僕たちは」とジム内で生き残る厳しさを語った。