ロングトレイル奮踏記BACK NUMBER
前へ進めない。でも歩きたい。
臆病風がトレイルに吹き荒れる。
text by
井手裕介Yusuke Ide
photograph byYusuke Ide
posted2013/12/04 06:00
カナダまで残り500マイルを切り、井手くんは強烈な孤独感と恐怖に襲われていた。
ここで離れてしまったら、二度と戻ってこられない。
歩きだしても動悸が止まらない。ワシントン州のトレイルはアップダウンが厳しいことで知られているが、息が苦しいのはそのせいではないだろう。
さらに、食欲がまるで湧いてこない。コーヒー飲料でお馴染みのマウントレーニアをなめて進んでいく景色も、どこか色褪せて見える。これではいけないとチョコレートバーを齧るも、吐き気に襲われてしまう。ヌガーが多すぎるのもあるが、精神的な問題なのは明らかだ。水でチョコレートをむりやり流し込む。1日に3度あるトレイル生活での愉しみも、この時ばかりはエネルギー摂取の為の作業であった。
途中ハイウェイを跨ぐ箇所が近づくと、日帰りハイカー達の姿が見えてくる。気がつくと、勝手に口が動いていた。
「すみません。ここから近い町はどこですか」
「近くの町にはスーパーくらいしか施設がないよ。何が必要なんだい」
家族でハイキング中の男性が心配そうな顔をして応えてくれる。念の為と思い積み過ぎた食糧、豊富な水場、健康な身体。何も必要なものはなかった。僕はただ、山から逃げ出してしまいたかったのだ。
しかし、町に降りる正当な理由はない。ここでトレイルから離れてしまったら、二度と戻ってこれないことが、なんとなくわかった。
それは、嫌だ。これまでの僕は何をしたって長続きしない性格で、一つのことをきちんとやり遂げた経験があまりない。
達成感のためだけに歩くなんて、とても残念だ。
歩く。それだけなら僕にだって出来るかもしれない。そんな気持ちでメキシコからここまで歩いてきたのに、カナダを意識し始めたこの段階で「目標の成就」という要素が濃さを増し、僕の旅が一つの「挑戦」となってしまっていることに気付いた。
こんなはずじゃなかったのに。僕はただ単に、バックパッキングによるキャンプ旅行を愉しみに来たつもりだったのだ。贅沢な環境での日々を、達成感のためだけに歩くなんて、なんだかとても勿体無いような気がするし、自分自身とても残念だ。しかし、それが現実だった。
歩いているのは整備のなされたトレイルだ。未知の地をかきわけて進むわけではない。それでも、ハイウェイという道の向こうに続く旅路は、なにか凶暴な顔を僕に向けているようにさえ思えた。
山を切り崩して造られたハイウェイは美しく、残酷なほどに僕を誘惑していた。