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病魔と戦ってきた天才の野球哲学。
~長嶋茂雄『野球へのラブレター』~
text by
武藤直路Naomichi Muto
photograph bySports Graphic Number
posted2010/10/11 08:01
『野球へのラブレター』 長嶋茂雄著 文春新書 800円+税
午後4時半、ホテルオークラの庭園レストラン。黒服の杉山禎男料飲部副支配人が姿を現す(今日は長嶋さんが来る日だな)。間もなく元投手小俣進広報が顔を見せる。間合は儀式のように正確だ。いつの間にか長嶋茂雄氏が席に着いている。薔薇の花が咲くような明るい空気が漂う。闘病中の筆者は食事が摂れず、このホテルで裏漉しの特別食を作ってもらっている。痛みをこらえ、もう一度テーブルを見る。そこだけが永遠の春のように思われて、苦しみが何か別のものに変わる。だが、2004年3月あのテーブルは突然に消えた。最後のオーダーはいちごのケーキだった。
その後の長嶋茂雄氏が、自ら「長嶋茂雄」を再創造するための戦いは本書の「九月よ、いらっしゃい」の言葉に集約されている。「夏場の疲れが身体に重くのしかかり、気力もなえるこの月に」こそとある。天才は病床にあっても、満場の観客が息を詰めるペナントレース終盤の試合にのぞんでいた。
「人間が生きがいを感じるのは、(略)他の人たちの役に立っていると信じられる時だ」。もう一人の天皇のような使命感がリハビリを支えた。長嶋茂雄は手術を受けた松井秀喜に電話を入れた。「いいか、リハビリは裏切らないぞ」。自らの体験をあの長嶋語で伝えるために――。「信じるところは『リハビリは報われるのだ』との一点だけ」。砂押監督の「月夜のノック」で鍛えられた青年は、老いてなお死の闇と闘う精神力を授けられていた。
常に長嶋氏の頭にあった二つの球筋とは。
かつては溢れ出ていた言葉は左手で文字を書く緩やかさで語られるようになった。見えてきたものは、「打者と投手の領土争い」という野球哲学。「猛スピードで投げ込まれるボールに当たればどんなことになるかは、誰もが分かっている。(略)打者は打席でいつも『恐れ』を克服しようと自分の心と戦っている。(略)しかし、ぼくは打席に向かうとき『恐れ』を抱いたことはなかった。『恐れ』を抑え込んでいたという意識もなかった」。
頭に常にあったのは、二つの球筋である。一つは「頭めがけて来る球筋」、もう一つは「自分のヒッティングゾーンへの球筋」だ。こちらのボールは、芯のコルクを粉々に打ち砕く。一方「頭に向かってくる球への『備え』が『恐れ』と同じとは思えない。(略)打者と投手の戦いは、自分の弱さに打ち克った者同士の勇気の争いといえる」。
勇者の制した領土は「内角」ではなく、実は日本国そのものに近かった。6年前、不覚にも「ビーンボール」が頭を直撃するまでは……。だが、「長嶋茂雄」は立ち上がった。自らの領土を甦らせるために――。