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<日本一のアルパインクライマーが語る(4)> 山野井泰史 「驚異のカムバック、なぜ山に登るのか」 

text by

柳橋閑

柳橋閑Kan Yanagibashi

PROFILE

photograph byMiki Fukano

posted2012/08/23 06:00

<日本一のアルパインクライマーが語る(4)> 山野井泰史 「驚異のカムバック、なぜ山に登るのか」<Number Web> photograph by Miki Fukano
<第1回>  <第2回>   <第3回>   <第4回>
雑誌Number Do『大人の山登り。~ゼロから楽しむ入門編~』に、
連続インタビュー企画「私が山に登る理由」の一つとして掲載された
日本一のアルパインクライマー・山野井泰史さんへのインタビュー。
雑誌では読めないエピソードもたっぷり収録したウェブ完全版、
今回が最終回です。

 アルパインスタイル、ソロによるヒマラヤの高峰登山で世界に名を馳せたクライマー山野井泰史。沢木耕太郎の『凍』に描かれたギャチュン・カンでの壮絶な生還劇から10年。凍傷で手足の指10本を失ってもなお、山と岩壁への情熱は変わらず燃え続けている。その原動力となるものは何なのだろうか?

              ◇    ◇    ◇

クライマーとしての復活、なぜ山に登るのか。

――ギャチュン・カンで指を失った後も、ひたむきに登り続けてきましたよね。山野井さんの中ではレベルという面で忸怩たる思いがあるのかもしれませんが、見ている側からすれば、ある意味、驚異的なカムバックにも映ります。

 最初の2~3年は、今まで簡単に登れた岩場に登れないのがすごく悔しくて、どなりまくってました。「くそーっ」て。中学時代に登れていたところに登れないんだから、すごくつらかったです。「指の長さが揃ってないからつかみづらいんだ。残った指を切ったら登りやすくなるんじゃないか」とまで考えました。登るほうが僕にとっては重要で、登れれば指の形はどうでもよかった。

――そうした苛立ちと怒りの時期から、再びビッグウォールに挑むところまで来る過程には、自分の中でどんな変化があったんですか。

 昔のレベルには到達できなくても、粘っていたらいい線までは行けるんじゃないかなという感覚が、ちらっと出てきたんですね。それはそれでチャレンジのしがいがあることだと思えてきた。

 五体満足のときは、2~3日がんばってみて、登れないと判断したら諦めていた。いまはそこでもう2~3日がんばってみる。そうすると、ふいにできたりすることがある。昔より粘り強くなったというか、我慢して何度も何度もトライする日数が長くなった。

 かっこつけた言い方になっちゃうかもしれないけど、昔登れたところにまた一からチャレンジできるわけだから、ある意味では2倍楽しいわけですよ。必ずしもつらいことばかりじゃない。新たな楽しみもあるし、達成感もある。人生の転機としてはよかったのかもしれない。

 近所の山のハイキングで息切れしていたレベルから再開して、少しずつ上げてきて、いまはバフィン島に行った頃のレベルかなと思うんです。もうちょっと行けるかもしれないし、行けないかもしれない。そこは年齢との兼ね合いもある。でも、もう少し高いレベルへ行きたいですね。

【次ページ】 10歳のときから、記憶がすべて山に関することばかり。

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