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<日本一のアルパインクライマーが語る(1)> 山野井泰史 「山との出会い、少年時代の記憶」
text by
柳橋閑Kan Yanagibashi
photograph byMiki Fukano
posted2012/08/02 06:00
連続インタビュー企画「私が山に登る理由」の一つとして掲載された
日本一のアルパインクライマー・山野井泰史さんへのインタビュー。
Number Webでは、雑誌では読めないエピソードもたっぷり収録した
ウェブ完全版を4回に分けてお届けします。
アルパインスタイル、ソロによるヒマラヤの高峰登山で世界に名を馳せたクライマー山野井泰史。沢木耕太郎の『凍』に描かれたギャチュン・カンでの壮絶な生還劇から10年。凍傷で手足の指10本を失ってもなお、山と岩壁への情熱は変わらず燃え続けている。その原動力となるものは何なのだろうか?
◇ ◇ ◇
東京の西の端、奥多摩の山の麓で、山野井泰史さん夫妻は簡素な暮らしを送っている。奥多摩湖の畔でバスを降り、坂を上がっていくと、着古したジャージ姿の山野井泰史さんがにこやかに出迎えてくれた。孤高の天才クライマーというイメージからはほど遠い飄々とした雰囲気だ。通された応接間はどことなく山小屋のような風情がある。窓際の木のベンチに腰掛け、妙子さんに入れていただいたお茶を飲みつつ、話を始める。
今回の連続インタビューのテーマは「なぜ山に登るのか」というものだ。登山家にとっては最も古く、かつ陳腐な質問である。「そこに山があるから」とは、1924年にエベレストで命を落としたジョージ・マロリーがニューヨーク・タイムズの記者に答えた言葉だと言われている。コメントの真偽のほどは定かではないが、この台詞は深遠な哲学を感じさせる名言として一人歩きしてきた。ただ、マロリーに限らず、登山家にとっては「そんなことは聞かないでくれ」という思いの裏返しだったのではないかと思う。
もちろん、それは現代の先鋭的なクライマーにとっても変わらない。それでも、あえて山野井さんにこそ聞いてみたいと思った。山野井さんは「『Number Do』の特集に出る人、誰も答えられなかったりしてね」と笑いながら、記憶の糸を辿り始めた。
少年時代、記憶の源泉、『モンブランへの挽歌』。
――最初、山に興味を持ったのは10歳の頃だったそうですね。テレビを見たのがきっかけだったと。
ある日の夕方、偶然、『モンブランへの挽歌』というフランスのテレビ映画を見たんです。その瞬間、「これだ!」と思った。花崗岩の岩壁をガイドとお客さんが登っていて、どちらかが滑落して……というお話なんですけど、垂直のところを登っている姿に衝撃を受けて、子供心にどうしてもやってみたいと思った。だから、山というよりは、岩に登ってみたいというほうが大きかったかもしれないですね。
ただ、その頃は千葉に住んでいて近くに山がなかったので、石垣で岩登りの練習をしてました。あと、休みの日は図書館に行って山の本を探して読んだりもしてましたね。
そんなとき、母方のおじさんがハイキングをやっていたこともあって、山に連れて行ってくれることになって、いっしょに北岳に登りました。楽しかったですね。おじさんとは奥多摩なんかにもよく来てました。
思春期もほかの趣味に興味をもったことはなかったなあ。あの映像を見てから後は山以外のことは考えてこなかった。ひたすら山歩きと岩登りばかり。いま振り返っても、10歳から先の記憶って、ずーっと山のことばかりなんですよ。取り憑かれたような感じだったかもしれない。
高校生になっても、大学に進学したいとか、どこかに就職したいとか、そういう気持ちはまったくなかった。あそこ登りたい、ここ登りたいということばかりで。いまもそれがずっと続いているということなのかもしれません。