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<致命的な欠陥との共存を解析> ウサイン・ボルト 「世界最速が背負う秘密の十字架」
text by
小泉世里子Seriko Koizumi
photograph byTomoki Momozono
posted2012/07/13 06:01
頭角を現すきっかけは、バイエルンで取り組んだ筋トレ。
2人はバイエルン・ミュンヘンのスポーツドクターの元を訪ね、たとえ曲がった背骨でも走れる体になれないものかと懇願した。ドクターは体幹の筋肉を徹底的に鍛えることで、骨盤の揺れからくるハムストリングスへの負担を少しでも軽減させようと提案した。3年計画で20にも上るプログラムが組まれ、腹筋、背筋、大殿筋など骨盤周辺のあらゆる筋肉が強化の対象になった。
そのトレーニングは過酷なものであったろうが、何よりも圧倒的な結果がボルトとミルズを励ましていった。
怪我が少なくなっていったのに加え、200mで国際大会のメダルを獲得するなど徐々に頭角を現していったのだ。'07年には大阪で行なわれた世界選手権で銀メダル。この頃になるとミルズも100mへの出場にNOを告げることはできなくなり、ボルトは北京で世界の頂点に登りつめていく。
曲がった背骨を守るために始めた体幹の強化。それは、いつしか爆発的な「蹴り上げる力=推進力」という誰にも真似のできない産物をボルトにもたらした。
もちろんボルトには溢れんばかりの才能が眠っていたであろう。だが、その才能を開花させるきっかけを作ったのは生まれながらに背負ったまさに“背中の十字架”だったのだ。
短距離ランナーボルトにとって、産みの親がミルズならば、育ての親は、もしかしたら曲がった背骨なのかもしれなかった。
ある分析の撮影後、ボルトは僕にも見せてよと笑いながらやってきて、モニター画面を興味深げに覗き込んだ。
画面には半身裸体で走るボルトの姿がスローモーションで映っていた。ボルトはまるで他人事のように呟いた。
「綺麗だね。まるで天使みたいだ」
「僕の肉体は神に与えられた、大切な、才能みたいなもの」
人とは異なる肉体を持って生まれたウサイン・ボルト。
'90年代、世界の短距離界を牽引したアメリカでは、陸上理論に基づいた身体的特徴を持った者のみを集め100mの英才教育を行なった。一様に175cm前後の体を持った選手たちが、理にかなった同じような走りを要求された。恐らく、ボルトのような個性的な肉体と独自の走法を持つ人間は、競技者として生き続けることを許されなかったに違いない。
いまボルトは自分だけの走りを追い求める中で、その代償とも言える脚の痛みに再び直面し、もがいている。
だが、ボルトはこれまでもそうだったように、生まれもった宿命と共に、その壁を越えていこうとするに違いない。
「フォーミー……、僕にとって、僕の肉体は神に与えられた大切なもの。才能みたいなもの。だから僕は自分の肉体に感謝している」
人類最速の男は、楽しそうに笑う。
己の肉体の全てを肯定し、信じ続ける力。ボルトの笑顔を見ながら、もしミラクルボディー、奇跡の肉体というものが本当にあるとするならば、そのような固い意志に包まれた肉体なのかもしれないと思った。
2012年8月5日、ロンドンオリンピック男子100m決勝。
奇跡の肉体を持つ男、ウサイン・ボルトは2大会連続の金メダルと世界新記録をかけてスタートラインに立つ。