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<ロンドンで唯一無二の境地へ> 室伏広治 「自分だけのオリジナルを」 

text by

高川武将

高川武将Takeyuki Takagawa

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2012/07/06 06:02

<ロンドンで唯一無二の境地へ> 室伏広治 「自分だけのオリジナルを」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama
ロンドン五輪で活躍が期待される選手に焦点を当て、Number誌上で
発表してきた特別連載「LONDON CALLING~ロンドンが呼んでいる~」。
7月27日の開幕に向け、このシリーズを全文公開していきます!

今回は長年ハンマー投げの第一人者として君臨し続ける、室伏広治選手。
“鉄人”は、昨夏、テグで行われた世界陸上で、同大会初となる金メダル獲得。
Number794号(2011年12月22日発売)では、テグでの快挙を振り返りながら、自らの哲学、綿密なトレーニング論、そして父子二代にわたって追求してきた唯一無二の境地についてたっぷり語ってくれた。

 昨夏に行なわれた世界陸上韓国テグ大会、男子ハンマー投げ決勝。

 室伏広治が5投目を放ったときだ。

 いつものようにスタンドでビデオを回す父・重信は、思わず中腰になり、右手を胸の前でぐっと握り締めた。普段は寡黙で、厳しい表情を崩さない父が、興奮を隠せないでいる。

「あの子には、どこか不運がある。霧のようにつきまとっている気がしてならない」

 以前、父からこんなことを聞いていた。世界大会で何度もメダルを獲得し続けてきたことを思えば、少し意外な話だった。父の言う「不運」とは、「その力がありながら表彰台の一番上で君が代を聞けなかった」ということだった。

次々に発覚した室伏のライバルたちのドーピング。

 2000年のシドニー五輪では、雨上がりのサークルで滑り、80mラインまで飛ばした1投がわずか1m外れる。優勝記録は80m02だった。'01年の世界陸上エドモントン大会では自己記録に近い82m92を投げたが、終盤、大逆転されてしまう。

 何よりも心残りなのは、'03年8月のパリ大会だった。同年6月、プラハの大会で当時世界歴代3位となる84m86の自己ベストを出していた28歳の広治は、肉体的には一つのピークを迎えていた。だが、帰国後、ウェイトトレーニング中に腰を痛めてしまう。3週間かけて何とか回復したのもつかの間、大会1週間前の練習中に転倒して右ひじを強打する。出場も危ぶまれる中、銅メダルに終わった。

「あの頃の広治は回転スピードと体のバネが凄かった。間違いなく世界記録(86m74='86年、セディフ)更新を狙えていた。ただ、それが海外選手への脅威になり、ドーピングに走る選手が出たのではないか」

 翌'04年のアテネ五輪は2位だった広治のもとに、大会後、金メダルが郵送されてくることになる。優勝選手のドーピング違反が発覚したからだ。'08年北京五輪では、直前まで腰痛に苦しむ息子の姿を見ている。結果は5位。2、3位選手がドーピング検査で陽性となったが、選手側の提訴で真実は藪の中となった。

「いい動きだ!」――見守る父が見せたガッツポーズの意味。

「本人が集大成とするロンドン五輪まで、そうした不運がないように、私は祈るしかない」

 アクシデントも、故障も、ドーピング問題もなく、正真正銘の勝利を手にして欲しい。自らがアジアの鉄人と呼ばれながら成し得なかった世界制覇を息子に託した父は、そんな思いでテグの舞台を見守っていたのだ。

 美しい放物線を描いた一投は3投目に続く81m24をマーク。6投目で追いすがるパルシュも6cm及ばず、広治にとって「不運」を吹き飛ばす、世界陸上初の金メダルとなった。

 だから、あのガッツポーズは、勝利を確信した証だと思っていた。だが、父は笑ってこう言った。

「勝ったと思ってやったんじゃないんです。いい動きが決まったからやったんです。投げた瞬間に、これはいい動きだ! と」

【次ページ】 「枯れた投げ」は、若い頃の力強さよりも美しい!?

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