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<致命的な欠陥との共存を解析> ウサイン・ボルト 「世界最速が背負う秘密の十字架」
text by
小泉世里子Seriko Koizumi
photograph byTomoki Momozono
posted2012/07/13 06:01
わずか5戦目での世界新。本番でも自らの記録を更新。
この年の5月。ボルトはパウエルの持つ世界記録を破る9秒72の世界新記録を叩きだしていた。それまで200mを主戦場にしてきたボルトが100m参戦を決め、わずか5戦目のことだった。
五輪を目前に突如現れた21歳の新星見たさに、それまで閑散としていた練習場には世界中のメディアが押し寄せるようになり、そしてボルト自身も超人を演じることを楽しんでいるように見えた。
しかし私にとっては、1年にわたり取材してきたパウエルが五輪直前に日々自信を失っていく姿を見るのは辛いことであり、また同時に“世界最速”の男の肉体を解明するという、手前味噌でテレビ的な大義も揺らぎかねない由々しき事態だった。
そして“世界最速”をめぐる審判は、混沌ともいえる熱狂に包まれたアジアの都で下された。やはりというべきか、残念ながらというべきか、北京の地でその称号を与えられたのは、パウエルではなかった。
そこには、電光掲示板に映されたWR9秒69の文字の脇で、全身から誇りと威厳を漂わせて天を指し示す長身の青年の姿があった。
かくして“はた迷惑な超人”ウサイン・ボルトは新しい“世界最速の男”となった。
コーチらの“ゆるい”雰囲気の中で、ボルトから感じた変化。
2011年秋、私はふたたび、ジャマイカにいた。
性懲りもなくというべきか、正真正銘のというべきか“世界最速”の男の番組をつくるために。ロンドン五輪を目指すウサイン・ボルトの速さの秘密を科学的視点で解析する。これが私に課された新しいお題だった。
「久しぶりだね! 今なら何でも撮らせてあげるよ」
4年前と変わらぬテーマを被写体だけ変えて取材しに来た、虫のいいというか厚顔無恥な私を、パウエルは4年前と変わらぬ優しく人なつっこい笑顔で迎えてくれた。
「何だい、ジャークチキンを喰いにまたはるばる来たのかい?」
ボルトのコーチをつとめるグレン・ミルズの人畜無害な冗談も相変わらずだった。
ただ、そんな雰囲気のなかでボルトだけが何故だか変わっているように思えた。正確にいうならば、サンダーボルトポーズに代表される、世界のメディアによって作られ、またボルト自身が北京五輪以後演じてきた“超人ボルト”とは違って見えたのだ。