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<致命的な欠陥との共存を解析> ウサイン・ボルト 「世界最速が背負う秘密の十字架」 

text by

小泉世里子

小泉世里子Seriko Koizumi

PROFILE

photograph byTomoki Momozono

posted2012/07/13 06:01

<致命的な欠陥との共存を解析> ウサイン・ボルト 「世界最速が背負う秘密の十字架」<Number Web> photograph by Tomoki Momozono

「9秒58」以降の暗転。不調とまさかのフライング。

 ボルトは北京から1年後の'09年、9秒58という世界記録を打ち立てる。それは人類が到達するまでには30年かかると予測されていた記録であり、まさに歴史的快挙といえるものだった。

 しかし、翌年ボルトはアキレス腱の損傷や腰痛といった相次ぐ体の不調を訴え、シーズン途中からの休養を余儀なくされる。

 復帰後の'11年シーズンも世界記録更新はおろか、低調なレースが続き、韓国テグで行なわれた世界選手権ではまさかのフライングで失格に終わるという、らしくない醜態を世界に曝した。

 この頃、記録だけを見るならば、ボルトは明らかに壁にぶつかっていたのだ。

「テグでのフライングの時、何が起きたの?」

「フォーミー……、調子がいい時はスタート前に何かを心配したりはしないんだ。でもあの時はなぜかとてもナーバスで、自分で自分を励ます始末だったんだ。僕は大丈夫とか、僕は努力してきたんだからとか、ね」

 あのテグのスタートラインで、私はボルトから3mも離れていない場所に確かにいたはずだった。

 私も含め、世界中が圧倒的な勝利と新しい世界記録を期待し、そして落胆した。

 その場所で、ボルトは人知れず自らを励まし信じようとしていたのだ。

コーチが語気を荒げて許さなかった、ボルトの全身MRI撮影。

 ボルト自身が手ごたえを掴めない練習が続くなか、私たちの取材も難航していた。

 番組の狙いは前述したようにスポーツ科学の視点でボルトの速さの秘密に迫ることにあり、そのためには195cmという規格外のボルトの肉体を細かく分析しなければならない。スプリント中の筋肉の動きや活動量を、筋電計などの最先端の技術で計測する運動力学的側面。さらにボルトの肉体の内部を探る医学的見地も求められていた。

 特にボルトの全身をMRIで撮影し、筋肉や骨格の基礎的な構造を知ることは取材開始時から何度も交渉してきた重要事項だった。

 ミルズコーチはボルトのトレーニングに生かせると、こちらの無理難題にも労を惜しまず協力してくれた。

 しかし、なぜかMRI撮影にだけは難色を示した。それどころか、明らかに苛立った表情でそれは絶対に許さないと語気を荒げた。

 ミルズはボルトが18歳の時からコーチを務め、僅か4年で100mと200mの世界チャンピオンに育て上げたジャマイカ短距離界を代表する指導者だった。

 ミルズは短距離ランナー、ウサイン・ボルトのいわば産みの親なのだ。

 そのミルズがMRIで見せたくないものは何なのか?

 長年の鍛錬によって作られた“特殊な肉体の秘密”があるのではないか?

 少々劇画的とも思える自分の興味に苦笑しながらも、ひとまずはMRIからは手を引いた方が賢明だと考え、ミルズにもそう伝えた。ミルズは一瞬鋭い目をこちらに向けたが、すぐにいつもの愛嬌のある笑顔に戻った。

【次ページ】 驚愕の告白。「ボルトの体に“障害”さえなければ……」

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