オリンピックへの道BACK NUMBER
打倒世界王者の鍵は“攻めの前半”。
進化した泳ぎで勝負する入江陵介。
text by

松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byHiroyuki Nakamura
posted2012/06/05 10:30

ジャパンオープンのレース後、入江は道浦健寿コーチから「おまえがバテたのを初めて見たよ」と声を掛けられた。前半から仕掛けるという課題を克服しつつある。
5月25日から27日にかけて、競泳のジャパンオープンが行なわれた。ロンドン五輪まであと2カ月。4月の日本選手権で日本代表になった選手たちが、本番へ向けての強化の具合を確認する場であり、思い描いている戦略を試す場でもある。
その中で、笑顔で大会を終えたのが、入江陵介だった。
「少し、殻を破れたと思います」
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背泳ぎ200mのレース後、内容に納得がいったように、そう口にした。
入江にとって、2度目のオリンピックとなるロンドンは、北京五輪の雪辱を期す場でもある。4年前、急成長し脚光を浴びていた入江は、200mで五輪代表入りし、北京に臨んだ。五輪前の世界ランキングは3位。当然、メダルを期待される存在だった。
大会が始まると、入江の出番までに北島康介、松田丈志らがメダルを獲得していたこともあって、入江自身のメダルへの意識も高まっていた。
だが、結果は5位。
「力みもあったし、自分より速い選手と泳ぐ機会もあまりなかったこともあって、自分のレースができませんでした」
のちにこう振り返っている。
北京五輪での悔しさをばねに、日本競泳陣の主軸に成長。
レースを終えて、一時落ち込んだ入江だったが、立ち直るのは早かった。帰国してまもなく、雪辱を誓った。
「ロンドン五輪ではメダルを獲ってやる」
北京を経てたくましさを増した入江は、翌'09年になると躍進する。得意の200mでは、5度にわたって日本記録を更新。その中には、「高速水着問題」で国際水泳連盟から公認されなかった幻の世界新記録も含まれている。
同年の世界選手権では200mで銀メダルを獲得。'11年の同選手権200mで再び銀メダルを獲得し、100mでも銅メダルを手にした。
それらの活躍は、日本競泳陣の主軸と呼ばれるにふさわしい。