プロ野球亭日乗BACK NUMBER
浪人のリスクよりも巨人の夢を……。
東海大・菅野智之の「諦めない心」。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byKYODO
posted2011/11/27 08:01
浪人という苦渋の決断を発表した菅野。社会人リーグや独立リーグ、メジャーなどに進むと来年のドラフト会議で指名される資格を失うので、他の道にも進むつもりは無いとしている
プロ野球選手ではなく、巨人の選手になりたい──。
ドラフトからこの間、菅野の去就を巡って様々な意見が飛び交った。
「ドラフトはもともと選手の意思は反映されない制度なのだから、ルールに従って日本ハムに行くべきだ」「プロ志望届を出した時点で、目標はプロ野球選手になることなのだから、球団はどこでもいいはずだ」
なかには「菅野の幸せのために原監督が説得すべきだった」などと頓珍漢な意見を書いていた新聞のコラムもあった。
ただ、菅野と菅野の家族の思いを取材していると、必ずこういう決断に至るだろうなという思いは、ドラフト当日からあった。
なぜなら菅野がずっと子供の頃から描いてきた夢は、プロ野球選手になることではなく、巨人の選手になることだったからだ。
原家の一員として育った菅野に根づいた巨人への思い。
その強い思いがどこからくるのか。それは育った環境という以外にない。
幼い頃から巨人の「4番打者」の原辰徳と接して、幼稚園のときには東京ドームでその引退セレモニーを家族の一員として観た。そしてその原辰徳を育てた祖父の東海大野球部顧問・原貢氏の教えの中で野球選手として一流への道を歩み続けてきたのだ。
菅野の野球には常に原辰徳の姿があったし、その後ろには巨人があったのだ。
この環境は菅野が選んだ訳でも、家族が選んだ訳でも、もちろん原監督や祖父の貢氏が選んだ訳でもない。その結果、巨人に対して普通とは違う特別な感情、強い思いを抱くことも仕方のないことだった。
菅野がプロ志望届を出したのは、巨人にいくという夢の実現のための必要条件だったからだ。そしてドラフトという制度に身を委ねたのは、その制度をくぐり抜けなければ、巨人に入ることができないからだった。
そして今回、日本ハムの指名を拒否したのも、巨人に入るためには、そうしなければならないからだった。
それぐらいに菅野の心は揺るがない。