佐藤琢磨 グランプリに挑むBACK NUMBER
最終レースも琢磨らしく
text by
西山平夫Hirao Nishiyama
photograph byMamoru Atsuta(CHRONO GRAPHICS)
posted2005/10/19 00:00
「BARホンダのドライバーとして走るのも最後。このメンバー、スタッフと仕事するのも最後。2005年の最後のチャンス。最後づくめのレースですが、いい思い出になるようなレースにしたい。持てるものを全部出し切って、自分らしいレースをして結果残したいですね」
鈴鹿決勝以来4日ぶり。上海国際サーキットで再会した佐藤琢磨は、意外にスッキリした顔付きだった。
正念場の鈴鹿、スタートの1コーナーでのコースオフ、シケインでのトゥルーリとの接触と、失格裁決……ずっと落ち込みっぱなしでもおかしくないのに、琢磨はなぜか吹っ切れていた。
「鈴鹿に月曜まで居て、午後からスタンドで残っていたファンの前でトークショウをやったんです。ああいうレースの後だったので乗り気ではなかったんですけど、2500人も残ってくれて、20分くらいファンと交流した後は気分的にスッキリして嬉しかったです。サーキットを離れる時も大きな揃った声で応援してくれてね」
ファンの声援がそのまま琢磨の“癒し”になったということか。
いま省みると鈴鹿は異様にテンションが張り付いたままレースの週末が始まったと言い、対して上海は「今日木曜日まではリラックスしてます」と、最後のレースに向けて再びオーラの昂りを感じさせた。
もっとも、予選トップランナーのハンデは他のサーキット以上に大きくのしかかり、路面コンディションの悪化でまったくグリップがなく、給油をなるべく後にするため重いタンクで走ったとはいえ、18番手に終った。
しかも決勝レースはジャンプ・スタート(フライング)を取られ、ドライブスルー・ペナルティ。12位から最後尾に落ちて、ミナルディ勢、ジョーダンを抜いてシューマッハーとの距離を縮め始めたあたりからギヤボックス・トラブル発生。うまい給油作戦で2回目セーフティカー出動時には8位まで浮上しながら、レース再開となった時にはギヤボックスが息絶えていた。
しかし、琢磨らしいレースとは言えた。条件はどうあれ前車を抜き、下がり、また抜き、また下がり、また上がる。結果には結びつかなかったが、トラブルさえなければ7位、少なくとも8位フィニッシュはありえた。結果を得られなかったのは残念にしても、自分のアビリティを見せ、希望を前にシーズンを終えられたのは決して悪い気分ではなかったろう。
レース後の琢磨がまた彼らしかった。
「もう気分は切り替わりましたよ。(リタイアしてからピットまでドライバーを後部シートに乗せ帰る)バイクのお兄ちゃんが全然道分かってなくて、ゲート出てグルグル回ってこのまま上海の街に行っちゃうんじゃないかっていう(笑)、そんなことやって笑わかしてもらったんで、帰って来る時はサッパリしてました」
来季のチームはまだ決まってないが、本人はホンダ・エンジンを積む噂の“11番目のチーム”との契約を強く希望。12月中旬には父親になる佐藤琢磨の2006年のカムバックに期待したい。