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今の時代、本当に必要な監督力とは?
仰木彬と星野仙一、「怖さ」の違い。 

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中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph byNaoya Sanuki

posted2011/06/13 11:35

今の時代、本当に必要な監督力とは?仰木彬と星野仙一、「怖さ」の違い。<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

「知将」「魔術師」と呼ばれた恩師・三原脩の薫陶を受け、ついには名将となった仰木。「仰木マジック」と呼ばれた名采配は、「三原マジック」に倣った称号である

オリックス時代に、130試合中121試合が異なる打順。

 光山は、こんな屈辱的な交代も経験している。

「延長戦に入って、ワンアウト満塁の場面でした。僕が3人目の捕手だったので、もう、残りの捕手は誰もいなかった。それなのに代打を送られたんです。だから、そのあとは金村(義明)さんがマスクをかぶった。あんときは生まれて初めて試合の途中で帰りました。でも、それぐらいの厳しさを持ってる人だったから勝てたんですよ。一流以下の選手は、ちゃんとやらんとはじかれるというプレッシャーを常に感じていた。いつでも自分に視線が刺さっているような感じがありましたからね」

 そんな仰木の究極の選手起用法が「猫の目打線」と呼ばれた「日替わり打線」だった。

 1994年、オリックスの監督に就任した年など、130試合の内、実に121試合までもが違うオーダーだった。

 そうした采配が不思議とよく当たったことから、仰木の采配は「仰木マジック」と呼ばれたわけだ。

仰木監督同様、選手から恐れられていた「木内マジック」。

 アマチュア球界で「マジック」の呼び名で唯一、定着した監督がいる。先日、今夏限りでの勇退を発表した常総学院の木内幸男だ。

 やはり木内も、ベンチ入りメンバーをこれでもかというほど取っ替え引っ替えする。試合が終わる頃には、先発メンバーがほとんど残っていないということも珍しくない。

 木内が1984年夏に取手二高を率いて全国制覇を果たしたときの教え子で、現在、下妻二高校の監督を務める小菅勲は語る。

「木内さんの野球はよく『伸び伸び野球』って言われるけど、ちゃんちゃらおかしいですよ。やってる方は、必死でしたから。怒られるのが怖いから、というのではないんです。選手にとっていちばん怖いのは試合で使ってもらえなくなることですからね。使われなくなるぐらいなら、うるさく言われている方がまだまし。だから、いつ出番が回ってきてもいいように、常に練習しとかなきゃダメなんです。そういう必死さがあったから、ああやって選手を代えても、それぞれの選手がいい働きをしたんです」

 それが「木内マジック」のタネの一部だ。これはそのまま仰木が指揮していた頃の近鉄やオリックスにも当てはまる。

【次ページ】 絶対的な戦力不足を仰木独特の人心掌握術で補った。

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