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From:アテネ(ギリシャ)「テレビで見るか、現場で見るか」 

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杉山茂樹

杉山茂樹Shigeki Sugiyama

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photograph byShigeki Sugiyama

posted2004/08/23 00:00

From:アテネ(ギリシャ)「テレビで見るか、現場で見るか」<Number Web> photograph by Shigeki Sugiyama

購入したばかりの液晶テレビのクリアな

画面で楽しむ五輪観戦は充実していた。

それでもやっぱり僕はアテネにやってきた。

 古い話になるが、某地上波局のアジアカップ中継は、とてもいただけない内容だった。あそこまで素人サイドに立たれると、リモコンのボリュームをゼロにしたくなる。ヨルダン戦をドーハの悲劇以来の名勝負なんて言われちゃうと、見る気は途端に失せる。というわけで、僕はいまこそチャンスとばかり、BSの中継がちゃんと見られる地上波デジタル対応の液晶テレビを、早急に購入した。

 アジアカップの次に、アテネ五輪が待ち構えていたことも、動機の一つである。だから、山本ジャパンの失態も、谷亮子、野村忠宏、男子体操団体総合などの金メダルシーンも、クリアな画面で、しっかり拝ませて頂いた。五輪を自宅のテレビで見るのはいつ以来だろうか。僕はすっかり普通の人に成り下がっていたが、それはそれで、とても充実していた。五輪はやっぱテレビに限る。現場も楽しいけれど、テレビにはテレビの素晴らしさがある。「愛ちゃん」が眉間に寄せる皺なんか、古いブラウン管のテレビだったら、絶対に映らなかったに違いない。それから、異なる競技が次から次へと、目に飛び込んでくる所も堪らない。ニュースを逐一知ることが出来る。現場では頑張っても1日に3種目がやっと。別の会場で何が起きたかも、親切な誰かが教えてくれない限り全く分からない。

 大会6日目。僕はそれでも、アテネにやってきた。テレビ観戦の魅力を再認識すればするほど、現場の空気が恋しくなる。というよりも、やっぱり僕はスポーツ観戦が好きなのだ。いや、いや、それじゃあ少し格好良すぎる。単なるお祭り好き。そうなのだ。何を隠そう、お祭りっぽいムードが好きな僕は大のミーハーだ。人が数多く集まる場所が決して嫌いじゃない。で、五輪の場合は、神宮の花火大会なんかと違って、世界各国から、外人さんがわんさか押しかけてくる。現場はとてもカラフルで、平和的な空気に包まれている。国と国の戦いがナショナリズムの高揚を促すことは間違いないが、一方で、現場は無国籍者になれる場所でもある。スポーツに国境はないと言えばないし、あると言えばある。両方が、バランス良く実感できる所が何より良い。

 ヘンリー(豪州)とデ・ブラウン(オランダ)が対戦した女子100m自由形でも、前者が勝つと、オランダ人はすかさず、豪州人に「おめでとう」を嫌みなく言い、表彰式では、お互いがライバルに惜しみない拍手を送った。それまで確実に存在していた国境は、どこかに消えていた。

 だが僕は、この時、不届きモノと化していた。レースの前も後も、ヘンリーに一方的に肩入れしていた。この準決勝の模様は、アムステルダム・スキポール空港のラウンジで、テレビ観戦したのだが、そこで世界新をマークした彼女が見せた笑顔に、心ときめかせてしまっていたからだ。世界新を出したというのに、彼女はちっとも偉そうじゃなかった。滅茶苦茶はにかんでいた。太い腕と、デカい身体と、世界新とくれば、男性としては、讃える気持ちより、引いていく気持ちの方が強いものだが、この場合は逆。僕は、その大画面のプラズマを食い入るように見つめた。

 しかしだ。現場では、その笑顔が少しも拝めない。豆粒のように見えない。結局、備え付けのオーロラビジョンに目を凝らすことになる。それじゃあ、テレビ観戦と変わらないジャンと、自分自身に突っ込みを入れたくなる瞬間でもある。

 つまり、現場で見るより、テレビで観戦した方が、お気に入りは出来やすい。逆に、アップの表情が拝みにくい現場観戦を続けていると、ミーハーはミーハーでなくなる恐れがある。というより、ミーハーには2種類あることに気付く。僕みたいなタイプと、そうでないタイプと。そういう意味では、途中からアテネへ出かけていった僕のチョイスは、大正解だったような気がする。

 自画自賛ですみません。

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