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<イエメン遠征の真実> 一夜かぎりの痛快大逆転劇。~“若すぎる日本代表”が見せた可能性~
text by
浅田真樹Masaki Asada
photograph byKiminori Sawada
posted2010/01/26 10:30
例年、「元日にサッカーができる幸せ」といえば、天皇杯決勝の舞台に立つ選手の専売特許だったが、今年は日本代表の19名もまた、それを享受することになった。
2010年1月1日夕刻、日本代表は大阪に集合し、新年最初のトレーニングを行なうと、翌2日にはイエメン・サヌアへと飛び立った。松の内も明けぬ6日、イエメンとのアジアカップ予選を戦うためである。
当初、日本サッカー協会はシーズンオフの休養期間を確保するため、この試合の開催先送りを要望していた。ところが、これが認められず、AFCからの通達により6日開催が不可避となると、試合に臨む日本代表は、若手中心で編成されることが決まった。
岡田武史が選んだ遠征メンバーは、異例の平均年齢およそ21歳。全19名中15名が国際Aマッチ出場経験を持たず、残る4名にしても出場実績は各1試合にすぎない。しかも、そのうち先発出場しているのは、西川周作のみ。残る乾貴士、金崎夢生、山田直輝は、いずれも短時間の途中出場である。
果たして予選突破のかかる大事な試合で、よく言えば怖いもの知らずの、悪く言えば頼りない、“若すぎる日本代表”は、どちらの顔もさらけ出すのである――。
2点目を奪われても「沈むことはなかった」(柏木)
試合開始から13分、CKから早くも先制点を許すと、青いユニフォームの選手たちは、自陣ゴール前に茫然と立ちすくんでいた。
1年前の対戦時とは戦術を一変させ、高い位置からプレッシャーをかけてきたイエメンに対し、日本は「経験の少ない選手が怖がっていた」(岡田)。速いプレスに加え、雑に刈られた段差だらけの芝に苦しみ、若い選手は明らかに浮足立っていた。
それでも前半なかばからは、徐々にパスがつながり、攻撃の形らしきものが見え始めた。にもかかわらず、39分にミスが重なり2点目を失ったのだから、敗戦への流れは、もはや止めようのないものであるかに思われた。
だが、「ピッチ内の雰囲気はそれほど悪くなかった」と、柏木陽介は振り返る。
「監督に言われてたのが、お前らの持ち味は元気と明るさや、ってこと。それが試合中も頭にあったから、沈むことはなかった」