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<ベルマーレの試練と再挑戦> “湘南の暴れん坊”が生きる道。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byToshiya Kondo
posted2011/03/02 06:01
フジタの撤退でかつてと練習場は変わったが、河川敷でのトレーニング風景は昔も今も同じ
反町が欧州で見つめた市民クラブの在り方。
育成の種は芽吹いている。昨年10月に開催されたU-19アジア選手権の日本代表に、下部組織出身の古林将太と菊池大介、それに2種登録の遠藤航が選出された。同11月のアジア大会で金メダルを獲得したU-21代表にも、ジュニアから育った鎌田翔雅が名を連ねた。期限付き移籍をしていた菊池と鎌田は、新シーズンからベルマーレのユニホームを着る。
歓迎すべきサイクルが構築されている。ところが、反町は慎重に言葉を選ぶのだ。
「下から選手が育ってくるのは、もちろんいいことだ。でも、ガンバやサンフレッチェは以前からやっている。最近ではセレッソもそう。ベルマーレだけじゃないし、ウチみたいに予算の少ないクラブでは、最低限やっていかなければいけないことかもしれない。小田原や藤沢の子どもたちが、ウチではなくマリノスの下部組織へ通う現実があるんだよ。J1に昇格して声をかけた選手に、湘南より施設が良いクラブへ行きたいからという理由で断られたこともあった」(ベルマーレジュニアは、この記事が掲載されたNumber770号発売後、2010年度限りで活動を終了することを発表した)
現役引退直後にバルセロナへ留学した反町は、その後もオフを利用してドイツやイングランドを訪れている。ビッグネームのいないクラブが観衆を熱狂させ、湘南よりホームタウンの小さな地方クラブが歴史を刻んでいく。最先端の戦術や理論に触れる日々は、市民クラブの在り方を見つめる時間でもあった。
「現状で我々がハード面で他チームに勝つのは難しい。でも、ソフトなら勝負できると思う。我々の人間力でクラブに対する愛みたいなものを育てていくことが、チームが変わっていくためには必要なんじゃないか。ヒデがどうしてウチに来たのか、ってことだよ」
湘南の行き先は、Jリーグが発足当初に描いた将来像そのもの。
J1の11チームが競合した中田英寿は、練習場や付帯施設を決め手にベルマーレを選んだのか。韮崎高校出身の逸材を先輩として迎えた反町は、違う理由があると考えている。
「ヒデに聞いたら『マリノスの練習にも行きます』って言うから、『そりゃあ、そっちのほうがいいだろうな』なんて話をした。でも、アイツはウチを気に入った。そういう選手だっているんだから、自分たちのソフトには誇りを持ってリクルートしていくべきなんだ」
クラブはうってつけの人材を迎えた。田村が強化部スタッフに加わったのだ。湘南ひと筋でプレーした選手がフロント入りするのは、Jリーグ加入後初めてのことである。
「これからもチームに貢献したい気持ちはすごくあります。人間としても育ててもらい、あれだけ盛大なセレモニーをしてもらった。サポーターの人たちも温かく迎えて、そして送り出してくれたから」
絶対に忘れない 俺達の誇り 俺達の心 田村雄三 ありがとう――引退セレモニーでゴール裏に掲げられたメッセージだ。田村のフロント入りは、サポーターとクラブとの結びつきを深めていくに違いない。クラブに対する溢れるばかりの愛情を抱く彼なら、将来有望なタレントの獲得にも尽力できるはずだ。ベルマーレの強みを伝える言葉と、改善すべき課題を隠さない勇気を、彼は持っている。
市民クラブとして再生し、J1昇格とJ2降格を経験したベルマーレの未来図は、これまでも、これからも険しい。標なき道である。
それでも、企業スポーツからいち早く脱皮したこのクラブの行き先は、Jリーグが発足当時に描いた将来像そのものと言ってもいい。予算に翻弄されることはあっても、理念は揺るがない。クラブに携わる人々の透徹した視線が、チームの進むべき道を照らしている。