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「ジャイアンツ大嫌い!」ローズのブチギレ事件「巨人コーチが胸ぐら掴まれ…」80敗堀内巨人のウラ側…“史上最悪”新外国人は「4試合で電撃退団」
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中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byJIJI PRESS
posted2025/04/27 11:03

2004、05年と巨人を指揮した堀内恒夫監督。連敗後、ぶぜんとした表情でバスに乗り込む姿
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「ローズはバッティングではすごかったけど、守備で手を焼いた。(外野守備走塁コーチの)弘田(澄男)と、意見が対立して、ケンカになった。それでも、解雇できない契約になっていたのでね。彼には被害妄想の気があって、俺ばかりが差別されるという先入観があった。そんなにゴネるのなら、俺のところへ連れて来い、といったら、福岡ドーム(現ヤフオクドーム)のハンバーガー店へ逃げ込んでしまった。通訳が迎えに行っても出て来ない。でも、次の日に来た。打って結果を残しても、手抜きは許さんぞと言ってやりましたよ」(週刊ベースボールONLINE 2019年5月28日)
もちろん見方を変えれば、誰に対しても一本気でときに柔軟性に欠ける堀内監督のマネジメント能力に疑問を持つ声も当然あった。ただ、就任時は「投手中心のディフェンス野球」を掲げていた堀内監督にとって、外国人選手の契約ひとつ取っても、フロントと現場の連携は機能しているとは言い難かった。
そんなトラブル続きの2005年シーズンの堀内巨人を序盤に牽引したのは、崖っぷちの清原だった。
