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巨人関係者「君をドラフト2位で指名する」発言も…まさかの“阪神入団”、北條史也のパニック「わけわからん…」「藤浪晋太郎と一緒か」ドラフトウラ話―2025上半期 BEST5
text by

中村計Kei Nakamura
photograph bySankei Shimbun
posted2025/04/28 06:01

2012年ドラフト会議で、阪神からドラフト1位指名を受けた藤浪晋太郎(右)、2位指名の北條史也
あの田村を超えた…「高3藤浪の異変」
約5カ月前の藤浪とは別人だった。その年の春、選抜大会の決勝でぶつかったとき、北條は藤浪から2本の二塁打をマークしている。1本はレフト線のライナー性の当たりで、もう1本は左中間を深々とやぶった。だが、夏は4回打席に立ち、見逃し三振、いい当たりのセンターライナー、空振り三振、セカンドフライと無安打に終わった。
1打席目は追い込まれてからの3球目、思ったほど落ちないフォークボールを見逃してしまった。2打席目は外に逃げる変化球になんとかついていけた。しかし、3打席目で北條の心はへし折られた。
「アウトローの真っ直ぐをファウルで粘っていたんですけど、最後、そこからスライダーを投げられて、『ああ、無理だ』と思いました。消えたので。春とはコントロールがぜんぜん違いましたね。アウトコースにドンって真っ直ぐきたかと思ったら、そこから曲げることもできる」
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その日の光星学院は藤浪から2安打しか放つことができず、0−3の完封負けを喫した。1本は内野安打、もう1本は田村のセンター前ヒットだった。
北條に「藤浪は別格でしたか?」と改めて問うと、質問した言葉をトレースした。
「別格です」
高校日本代表においても勝負どころの先発はすべて藤浪だった。同世代で仙台育英のキャプテンを務めていた小杉勇太がこんな話をしていたことがある。
「どっちかというと、僕は『藤浪世代』という方がしっくりきます。春夏連覇の投手なので、藤浪のほうが格的には上でしたから」
今や大谷世代という言い方が定着しているが、この頃は、藤浪世代、あるいは藤浪・大谷世代という呼び方の方が市民権を得ていたのだ。
まさか…阪神2位指名のウラ側
北條と藤浪は不思議な縁で結ばれていた。
そもそも北條も大阪桐蔭に強い憧れを抱いていた。
「中2の時に、浅村(栄斗)さんの代が全国制覇して。テレビで観てて、めちゃめちゃ憧れていました。めっちゃ行きたかったですね」
大阪桐蔭の監督である西谷浩一は大阪狭山の試合に足繁く通っていた。北條が続ける。
「高校野球の監督は打ってから一塁までのタイムも計っていると聞いていたので、西谷さんが来ているときはめちゃめちゃ一生懸命、走りました」
だが最終的に大阪桐蔭から声がかかることはなく、熱心に誘ってくれた光星学院への入学を田村とともに決めたのだった。
憧れのチームは倒すべき相手に変わった。かといって、現実はそうそうドラマチックに運ばないものだが、光星学院は大阪桐蔭と甲子園の決勝で2度までも相まみえることになる。しかも、そのマウンドを守っているのは中学時代、鎬を削った藤浪だった。