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「お前、なに笑っとんねん」高橋藍がいま明かす「しんどかった」高校時代…“鬼の形相”で仲間を叱ったワケ「自信がなかったんです」《NumberTV》
posted2025/03/27 11:10

バレボール日本代表の中核を担う高橋藍がNumberTVで自らの「挫折地点」を明かした
text by

田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
Asami Enomoto
高校時代は「自信がなかった」
大学1年の頃に見た海外ドラマ『プリズン・ブレイク』のセリフに、心が震えた。
「『勇気と信念が世界を変える』。ほんまにそれやなって。新しいことにも怖がらずに挑戦できるのは、この言葉がいつも自分の中にあるからかもしれないです」
高橋藍は、東山高校を卒業した直後の2020年に初めて日本代表に選出された。翌年、1年の延期を経て開催された東京五輪に出場し、12月にはイタリアへ。世界最高峰リーグの一つとされるセリエAの名門、パドヴァでプレーした。
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春高制覇、代表選出、五輪出場、渡欧。
10代の終わりから20代の始まりは実に輝かしい日々に見えるが、高橋自身の解釈は違う。世間に“高橋藍”の名を知らしめた高3での春高制覇より前を振り返り、「しんどかった」と何度も口にした。
「自信がなかったんです。試合で勝てないし、成長も見られない。周りを見れば、同じ京都には強い洛南がいて、全国には自分と同い年で春高を優勝した水町泰杜(ウルフドッグス名古屋)、結果を残している選手もたくさんいる。自分はそこに達していない、という思いがすごくあった。ずーっと、壁にぶち当たっていました」
春高やインターハイで、東山高が京都府代表をかけて争うのが洛南高。バレーボールだけでなく、バスケットボールでもライバル関係にある両校の戦いは、いつも熾烈を極めた。高橋が2年時、後に日本代表でも共にプレーする大塚達宣(ミラノ)が洛南のエースとして春高を制覇するが、彼が「京都予選が一番しんどかった」と言ったのも決して誇張ではない。
だが、激闘を制した大塚が口にする「しんどい」と、未だ壁の前で全国への道を拓けない高橋が感じていた「しんどい」は、同じ言葉でも意味合いが違う。春高予選を終え、主将に就任した高橋は「何が何でも勝つ」と必死で、特に同学年のセッター、中島健斗(VC長野トライデンツ)に対しては厳しく接した。
覚悟を決めた高橋藍の「鬼の形相」
中島は2年時の春高予選直前に肩を負傷し、洛南との代表決定戦も欠場。高橋は「自分たちの代で絶対にリベンジを果たす」と、中島の復帰を願い、早くコンビを完成させたいと焦っていた。だから、ふたり以外は下級生主体のチームで、まずは楽しくと努める中島の姿勢にカチンと来た。
「お前、なに笑っとんねん」
ゲーム形式の練習を終えると、「鬼の形相」の高橋がいた。当時をそう振り返る中島は、エースで主将として「自分が背負う」と高橋が覚悟を決めて臨んでいることを理解していた。だからこそ、攻撃陣が揃ったチームでも「大事な時にトスを上げるのは藍だった」と誰より信頼していた。
日本一という大きな目標に向け、時にぶつかり合いながらも成長を遂げる。「苦しかった」という当時を高橋が振り返る。
<後編に続く>
【番組を見る】NumberTV「#17 髙橋藍 つかんだ自信が揺らぐとき。」はこちらからご覧いただけます。
