箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「原晋が名前を呼び上げて…」青学大“箱根駅伝メンバー漏れ”が通告される瞬間「悔しさをぶつけるように…」寮生活の気になる実情は?
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byNanae Suzuki
posted2025/01/24 11:02
青学大を率いる原晋監督(写真は2025年)
青学大の寮は「悩みの坩堝」
箱根が近づいてきて、東京の気温も少しずつ下がっていった。朝5時、ジョグのためにみんなが起きてくるが、本当はもっと布団の中にもぐっていたいはずだ。走り始めると、鼻腔に入ってくる風が冷たかった。
朝のジョグは個人の裁量に任されていて、高木も選手たちと一緒に走った。60分前後を目処に走る選手が多かったが、日によっては、高木が遅くまで走っていることもあった。いちばん長いときは、80分も走った。
大会が近づいてくれば主務の仕事は山ほどある。それに、1月の箱根駅伝が終わってからは卒業論文の提出もあり、できれば12月のうちに、ある程度は書き進めておきたかった。主務だから、30分でジョグを上がったとしても、誰も文句はいわないだろう。しかし、高木は走りたかった。走らざるを得なかった。
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選手たちが厳しく律するのなら、主務である自分もしっかりと自分を管理したい。努力しなければ、かえってつらくなってしまいそうだった。
青学大が強くなったのは、生活面での「当たり前のレベル」を引き上げたからだ。真剣に陸上に取り組んでいる以上、寝坊、遅刻は厳禁。もしも、部員が規則を破るようなことがあれば、なあなあで済ませるなんてことは絶対にできない。ルールを守れない同級生がいれば、当然のことながら厳しく接した。相手がどう思っていたかは関係ない。それが高木の仕事だった。
他人に厳しくするのだから、自分も律しなければならない。それでも、食べ物の誘惑はあった。アイスクリームが好きなのだ。主務という体面もあり、体重管理に腐心する選手たちの前で堂々と食べるのは憚(はばか)られた。どうしても食べたくなったときは、ひとりでコンビニに行って、あたりを見回し、知っている顔が誰もいないのを確認してからアイスを口に含んだ。
美味しかった。
寮で暮らす選手たちは仲間であり、ライバルだ。実力を示さなければ、決して駅伝のメンバーに入ることはできない。レースは日の当たる場所だが、その日常は苦しみとの戦いでもある。
寮は悩みの坩堝(るつぼ)といってよかった。
ケガの苦悩、涙を流す選手も…
高校の後輩でもある久保田は、2年生のときはほとんど走れなかった。周囲は腫れ物に触るような感じだったが、高木は高校の先輩であり、長い時間をともに過ごしてきたから、久保田も悩みを打ち明けてくれた。涙を見たことも一度や二度ではなかったし、これだけ素質に恵まれているのに、陸上を続ける気力がなくなってしまうのではないかと本気で心配したこともあった。幸い、治療の効果もあり、久保田は戻ってきてくれた。