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「さすがに使えないかな」青学大・原晋がボヤいた…「誰が4区を走るのか?」箱根駅伝前日、選手に告げた“選ばれなかった理由”…10年前の初優勝ウラ話
posted2025/01/24 11:03
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
Nanae Suzuki
今や箱根駅伝の常勝軍団となった青山学院大。その伝説がはじまった“初優勝”は10年前、2015年のことだった。選手を諦め、主務としてチームを支えた高木聖也が見た青学大の実情。第3回は「原晋の“ある一言”」編。初出:『箱根駅伝 ナイン・ストーリーズ』(文春文庫、2015年12月刊)。肩書はすべて当時のもの(全3回の第3回)
<一方、16人に入ったとしても、実際に走れるかどうかは分からない選手もいる。特にいちばん距離の短い4区は山村、田村、中村の3人が競っていて、監督も誰を使うか明言しなかった。>
この中では田村がロードに強く、監督も状態さえ良ければ使いたいと思っていることを高木はそばで感じていた。問題は田村が時として脱水症状に見舞われることがあり、健康面で不安を抱えていることだった。急に倒れ、救急車を呼んだこともある。もしも、本番でそんなことになったら目も当てられない。
4区“最有力候補”の涙
12月13日には、相模原キャンパス内にあるトラックで「ビルドアップ走」という重要な練習があり、4区を争う3人にとっては絶対にミスが許されない練習だった。ところが前日の段階から、高木の目から見ても田村の走りが明らかにおかしい。どこかをかばっているような動きで本調子とは程遠かった。
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「どうしたんだ、和希」
と尋ねると、田村は、
「下腹が張っていて……」
とちょっと困ったように答えた。腹部に張りがあると、体全体を使って走れなくなるから、動きがぎこちなくなってしまう。明日までに果たして回復するかどうか――。
12月13日、高木の不安はビルドアップ走で的中してしまう。田村は集団から取り残されただけでなく、なんとリタイアしてしまったのだ。
田村本人もショックで涙を流している。それを見た高木は練習場の中にあるトイレに田村を引っ張っていった。田村はあたりを気にする余裕もなく、わんわん泣いていた。高木は諭すように話し始めた。