甲子園の風BACK NUMBER
「高校野球だけ許されるのか?」今から30年前…阪神大震災後のセンバツ出場校“監督の葛藤”「『あんたたち、何してんの』と言われた気がして…」
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph by本人提供
posted2025/01/17 06:01
賛否両論ある中で阪神大震災後に開催された1995年春のセンバツ甲子園。出場した神港学園の選手や監督にもさまざまな葛藤があったという
「今は震災が起きたことも知らない世代が多いですし、現状、阪神大震災は風化しつつありますよね。実際に若いボランティアの子は少ないですし、伝えていく方法は他にもあるかもしれないですけれど、風化させない意味でもこの活動は続けていかなくてはいけないと思っています」
阪神大震災以降、04年に中越地震、05年には九州北部地震、そして11年には東日本大震災が発生した。さらに16年には熊本地震、そして昨年1月には能登半島地震も起きるなど、全国で地震災害が毎年のように発生している。
「東日本大震災の時がそうでしたけれど、交通が寸断されて現地の大変な状況を考えると、ボランティアに行きたくてもなかなか行けませんでした。それぞれに事情や生活がある中で、すぐに行動を起こすのは難しい。実際、私が地震に遭ったあの時、生徒たちはどんな心境でボランティア活動と向き合っていたのか。それはずっと気にしています」
「意味のある大会ではあったと思います」
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30年経った今でも、あの春のセンバツ大会を開催して良かったのか、北原の中で最善の答えは見つかっていない。
「高校野球だけ許されるのかって思う人もいるじゃないですか。東日本大震災の時も、5月に開催予定だった他のスポーツの大きな大会も中止になっていましたから。67回のセンバツの年の子らも、『開催するのが本当は大変だったのでは? いいの?』って思っていた子もいたんじゃないでしょうか。
でも、あの時の子供らの喜ぶ表情を思い出すとね……。ベスト8まで勝ち進めたから良かったのではなく、辛い出来事から時間が経って、ノックを受けた時、甲子園に立った時の彼らのあの嬉しそうな表情を見られたことを思うと、意味のある大会ではあったと思います」
甲子園は今でも特別な場所だ。“聖地”とも言われる大舞台。高みを目指す者は、誰だって立ちたいと思う。その舞台に立つこと、体感することが彼らにとって大きな意味があった。
30年経った2025年も、もうすぐ大舞台に春がやって来る。