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「いつまで現役やっとんじゃ!とヤジも…」伝説の「10・8決戦」松井秀喜に被弾した中日左腕の今→「ダメだったら潰そうと」転身したわらび餅屋が大人気
posted2025/01/16 11:05
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
NumberWeb
伝説の「10・8決戦」。1994年10月8日、中日と巨人が同率首位で並び、最終戦での直接対決で優勝を争った大一番で、山田さんは悔しい思いを味わった。2対5と3点ビハインドで迎えた5回。先発・今中慎二の後を受けて山田さんがマウンドに上がった。前年まで2年連続で40試合以上に登板し、“左キラー”の中継ぎとして地位を確立していた。
松井秀喜への“1球”
迎えるは巨人の主砲・松井秀喜。1ストライク2ボールとなったところで、4球目の高めに入ったカーブを狙われた。ライトスタンドへのソロホームラン。たった4球で交代を告げられてマウンドを降りた。試合は3対6で敗れ、目の前で胴上げを見せられた。
「悔いは残っています。相手はウイニングショットを狙ってくると分かっていましたから。打たれたこと自体もですが、左バッターに対し厳しくいけなかったことです。スライダーやカーブみたいな外に逃げるボールだけでは、いいバッターは絶対に抑えられないですから」
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ビハインドの展開だったとはいえ、大一番で相手を勢いづける主砲の一発を浴びた山田さんは責任を背負い込んだ。今のようにSNSなどない時代だが、直接届くファンからの心無いヤジは凄絶なものがあったという。
スタンドから降り注いだヤジ
「打たれ出すともう本当にボロカスでしたよ。特にナゴヤ球場はブルペンが外にあるので、登板に向けて準備をしている間も常にヤジが聞こえる。スタンドからの距離も近いですからね。『いつまで現役やっとんじゃ!』とかよく言われましたよ。いい時はいいんですけどね。辛い思いもしました……」
しかし、山田さんは屈辱の思いも無駄にはしなかった。松井に打たれたあの1球を機に、翌年からシンカーを本格的に習得し、左打者の内角を突くシュートを磨き上げた。とにかく左打者を抑えることを意識して、キャッチボールの時からシュートやシンカーを投げ込んでいたという。
「それ以降は松井くんに対してはノーヒットだったと思います。10・8に関しては今でも言われますけれど、打たれたことは大きな糧にもなりました。星野(仙一)さんの言葉じゃないですけど、絶対に相手から逃げない、攻めていくことの大事さを考えさせられた機会にもなりました」