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「岳くん以上はいない」“フツーの中学生”が青森山田で柴崎岳先輩と出会い日本代表DFに「黒田さんの求めるものは…」高校サッカー青春ウラ話
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byTakuya Sugiyama
posted2025/01/15 17:02
2019年、国際親善試合での柴崎岳と室屋成。青森山田で磨かれた2人の才能が日本代表に並んだ瞬間だった
小学校時代のチームメイトだった南野拓実が年代別の日本代表の常連だったのに対して、室屋は日の丸とは縁がなかった。
ただ、2010年12月に初めて声がかかった。2011年のU-17W杯に向けた新戦力発掘のために静岡合宿が開かれ、室屋はそのメンバーとして招かれたのだ。南野は同年10~11月にかけて行われたAFC U-16選手権で中心メンバーだったため、この合宿には呼ばれず。同大会に未招集の中島翔哉、鈴木武蔵、喜田拓也、野津田岳人らが呼ばれた合宿だった。
確かに、当時の室屋は青森山田で頭角を表していた。一軍にあたるAチームからDチームまで4段階に分かれている中、入学時にはCチームにいたのに、この頃にはAチームの一員となっていたのだから。とはいえ、自身初の日本代表候補合宿である。極度の緊張から、本来の力が出せなくても仕方がない。
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ただ、室屋は平常心に近い状態でプレーできた。そこにはハッキリとした理由があった。
「岳くんはあのときの高校生のトップレベルの選手です。チームメイトに圧倒的な選手がいるって、パス出すのも緊張するくらいなんですよ。そういう選手と普段から一緒にプレーしていたから、年代別代表合宿に呼ばれても『さすがに岳くん以上の選手はいないだろう』という感覚でリラックスして臨めたんですよね」
幼馴染の南野と再会→代表で運命のSB転向
室屋は年が明けた1月、本大会に向けた合宿にも呼ばれ、南野とも再会する。それ以降は代表に定着して、U-17W杯では5試合中4試合でフル出場を果たし、ベスト8入りに貢献した。その後も年代別代表の常連メンバーとなっていく。
なお代表候補として呼ばれた当初、室屋はMF登録だったが、U-17W杯ではサイドバックの選手としてピッチを駆け回った。吉武博文監督によってコンバートされたからだ。この年代では南野だけでなく中島、本職はFWながらサイドでもプレーできる浅野拓磨など、サイドハーフの選手が豊富だった。後のキャリアを考えても、このコンバートは室屋にとってはプラスに働いたかもしれない。
そして代表でのプレーぶりを買われ、青森山田でもサイドバックとして起用されるようになった。