甲子園の風BACK NUMBER
23歳で引退決断「この前、ガス点検に行ったんです」名門・履正社“初の甲子園制覇”の主将が語った転身…社会人5年で「プロを諦められた」ワケ
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph by(L)JIJI PRESS、(R)Fumi Sawai
posted2024/12/26 11:06
大阪の名門・履正社の主将として2019年の甲子園で日本一となった野口海音。23歳の若さで引退を決めたが記憶に残るのは最大のライバルとの死闘だった
偉大な先輩が多かったからこそ、「もっとうまくならなければ」と向上心が搔き立てられた。先輩達のレベルにまで引き上げられるように猛練習を重ね、1年夏から府大会でベンチ入り。
準決勝の王者・大阪桐蔭戦でも打席に立ち、当時のエース・徳山壮磨(現DeNA)からセンター前ヒットを放っている。その秋から出場機会が増え、背番号は2ケタながら以降の公式戦はほぼマスクを被った。
場数を踏めば踏むほど、持ち前の責任感はさらに強くなっていった。
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「自分は中学2年までは内野手で、捕手としての経験は浅かったんです。中学でも日本代表に選んでいただいていましたけれど、ただ“受けているだけ”って感じで……。高校でここまで経験させてもらって、もっと変わっていかないといけないと思うようになって」
相手打者の仕草や癖を細かく分析するなど、捕手としての探究心が芽生えていったのも1年の秋以降だった。
あの大阪桐蔭「最強世代」との死闘
忘れられないのは2年生の夏だ。
100回大会の北大阪大会準決勝で、春夏連覇を目指す大阪桐蔭と相対した試合。その年のセンバツを制し、根尾昂(現中日)、藤原恭大(現ロッテ)らが並ぶ“黄金世代”の打線に対し、どう向かっていくか。試合前、誰もが驚いたのは先発投手にこれまで公式戦で登板のない右翼手の浜内太陽を立てたことだった。
「普通にやれば負けるので、何か違うことをしないと(勝ち目がない)というのがあったので。だから、ああいう作戦になったんだと思います」
浜内の先発が決まったのは準決勝の前日。帰宅後、野口の携帯電話が鳴った。携帯電話の画面を見ると、岡田龍生監督(現・東洋大姫路監督)からの着信だった。
「明日は浜内でいくけど、と言われました。いけるか、と聞かれて、はい、と答えて」。
浜内に投手経験があることを野口は知っていた。とはいえ、大阪桐蔭打線に通用するかは別問題だ。
「でも、監督が決めたことなら、という感じでした」
実は野口は、大阪桐蔭戦まで浜内のボールをブルペンで1、2回しか受けたことがなかった。それでも指揮官の思いを受け入れ、大一番で野口はこの日もマスクを被った。
<次回へつづく>