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「“クビになった保険”で大学進学は…」「高卒30歳で正規就職は困難」トッププロを逃した元選手が伝えたい“サッカー引退後”を考えた人生
text by
阿部博一/小野ヒデコHirokazu Abe/Hideko Ono
photograph byKiichi Matsumoto
posted2024/12/28 17:02
日本代表など、スターダムに駆け上がれるサッカー選手は一握りだけ。だからこそ引退後も含めた人生を考えられるか
私は高卒でプロサッカー選手になれず、サッカー推薦で大学に進学しました。
入学した大学は勉学や就職に強いわけではなかったので、「プロになれなかったらこの4年間で何が残るだろう?」という問いは、否が応でも考えさせられました。そして「この4年間で、サッカー以外で何かひとつ武器を身につけよう」と考え、独学で勉強を始めたのが英語でした。
勉強を始めてみると、学生数が少なく、勉強を一生懸命する学生もそこまで多くない大学だったので、教授の方々のサポートを一身に受けることができました。周りから見れば大学の短所と思われるところが、自分にとってはプラスに作用したのです。
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また、多くの教授が留学経験者だったため、そのポジティブな影響を受け「自分もいずれは留学したい」という、サッカー以外でやりたいことがぼんやりと見え始めたのもこの時期です。
パッとしない私立大のサッカー推薦でも…
英語を勉強したことはサッカーにも確実に好影響を与えました。当時、私が所属していたサッカー部には部員が100名近くおり、その大半がサッカー推薦者でした。
多くの選手は「大学でレギュラーを勝ち取る→プロになる」ということ以外はあまり考えていなかったと思います。そんななか「英語を勉強している阿部という選手」は良い意味で浮くことができ、独自のキャラクターを確立することができました。これは別に狙っていたわけではないですが、「キャラクター」は「印象」につながるので、部員の多いチーム内の争いを勝ち抜くのに確実に役立ちました。
4年時にはキャプテンも任されました。キャプテンとして100名規模の組織を率いた経験は、ものすごく貴重なものでした。なぜなら、就職して数十年経ち、管理職になったとしても、かなりの大企業でない限り、直属の部下が100名できることはまずあり得ないからです。これは高卒でプロになったならば得られなかったユニークな経験です。
周りから見ると「パッとしない地方の私立大学のサッカー推薦」という進路かもしれませんが、大学4年間の経験値は今の私を支える土台です。そして大学時代に頑張った英語が、現在のグローバルなキャリアでも活きています。
阿部博一(あべひろかず)
V・ファーレン長崎で3シーズンプレーし戦力外通告を受けた後、米カリフォルニア大学サンディエゴ校に進学し、国際関係学修士を取得。2014年に三菱総合研究所へ入社し、スポーツ及び教育分野の調査案件に従事。2016年よりFIFA傘下で、アジアの国・地域のサッカーを統括するアジアサッカー連盟(AFC)にて審判部部長(Head of Department, Referees Department)として勤務。
〈第1回からつづく〉