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落合博満42歳が苦言「巨人の若手は練習をやらされてるよ」落合vs松井の不仲説「正直に言います…」21歳松井秀喜が落合に宣戦布告した日―2024下半期読まれた記事
posted2024/12/22 06:01
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
ベースボール・マガジン社
2024年の期間内(対象:2024年9月~2024年12月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。プロ野球(ヒストリー編)部門の第4位は、こちら!(初公開日 2024年10月10日/肩書などはすべて当時)。
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が発売され、即重版と売れ行き好調だ。その書籍のなかから、「落合博満vs.松井秀喜」を紹介する。1995年シーズンで原辰徳が現役引退、“新四番争い”がスタートする。【全2回の前編/後編も公開中】
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「ボクなんか、アルバイトみたいなもん」
「運転手サン、巨人勝ってる?」
大学時代、記者とタクシーに乗った原辰徳は、少年のような屈託のない表情で運転手にそう聞いたという。原はプロ入り前から大の巨人ファンで、長嶋ファンでもあった。そして、ドラフト1位で巨人入りすると四番を打ち、1995年限りで現役を引退したが、ユニフォームを脱ぐ際に自身の後継者として21歳の松井秀喜の名前を挙げた。
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「最後の試合の時、まぁ、あまり個人的に言ったらいけないのかもしれないけど、松井には、とにかく打って欲しかったですね。松井、打ってくれ、打ってくれって、そう願ってました」(週刊文春1995年10月19日号)
巨人の四番は貰うものではなく、奪い取るものだ――。そんなメッセージを残した原とは対照的に、松井は子どもの頃から阪神ファンで、長嶋茂雄が現役を引退した1974年生まれということもあり、ミスタープロ野球の勇姿をリアルタイムでは見ていなかった。プロ3年目の1995年シーズン、落合が故障欠場した8月25日の阪神戦(甲子園)でプロ初の四番に座ったが、松井本人も「ボクなんか、アルバイトみたいなもんですよ」と認める、あくまで代役の四番バッターだった。
42歳直前の異変「絶対に邪魔しません」
この年の松井は打率.283、22本塁打、80打点という成績でチームは3位に終わり、最後は自分が凡退して目の前でヤクルトの優勝が決まる屈辱を味わった。秋が深まり、野村ヤクルトとイチロー擁するオリックスが激突した日本シリーズも遠い世界の出来事だった。だが、同時にこの屈辱が背番号55の反骨心に火をつける。オフは自費で北野明仁打撃投手と契約して徹底的に打ち込んだのである。長嶋監督もそれに呼応するかのように、秋季キャンプで松井をキャプテンに指名する。