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野村克也もアメリカ人監督も絶賛した“169cmの日本人投手”「メジャーで通用する」「まるでやり投げの投球フォーム」山口高志を“生で見た”男たちの証言―2024下半期読まれた記事
posted2024/12/22 11:00
text by
太田俊明Toshiaki Ota
photograph by
KYODO
2024年の期間内(対象:2024年9月~2024年12月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。プロ野球(ヒストリー編)部門の第3位は、こちら!(初公開日 2024年11月15日/肩書などはすべて当時)。
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野村克也も衝撃「169cmの怪物」
山口高志が阪急で主力として活躍した期間はわずか4年に過ぎない。プロ通算成績は50勝43敗44セーブ。この企画で取り上げてきた歴史に名を残す大投手たちの数字から大きく劣るが、それでもマウンドに立つ山口の姿は多くのオールドプロ野球ファンの記憶に鮮明に焼き付いている。
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なぜなら山口が、速い球を投げることだけに特化したようなダイナミックなフォームで、見たことがないような快速球をストイックに投げ続けた稀有な投手だったからだ。まるでやり投げのようなフォーム。ボールをリリースした後の右手は地面を叩きそうなほどで、顔は左ひざの横でセンターを向いていた。
その球の速さについて、あの野村克也氏が著書『最強のエースは誰か』(彩図社)の中で、こう語っている。
〈現役時代、数多くの速球投手を見てきた。金田正一、尾崎行雄、江夏豊、江川卓、野茂英雄、藤川球児、大谷翔平――。私が見た中で一番速かったのは山口高志だと思っている。とにかく速かった。山田久志(阪急)は「タカシのストレートは終速が150キロだよ」。私も同感だ。もし、あの時代にスピードガンがあれば、160キロはゆうに出ていたのではないか。投球の9割はストレート。山口に配球などいらないのだ。逆に、打者はストレートしか来ないと思って打席に立てばいいのだが、それでも調子のいいときの山口は打てなかった〉
高校時代は無名だった…
1950年に神戸市に生まれた山口は、神戸市立神港高校に入学。2年時の春の兵庫県大会で東洋大姫路、育英高校という強豪校相手に2試合連続ノーヒットノーランを記録し、3年時には春夏連続で甲子園に出場と才能の片鱗を見せたが、全国的に注目されるような投手ではなかった。身長が169センチしかなかったこともあり将来性に疑問を持たれ、憧れていた東京六大学の早稲田への進学がかなわず、地元の関西大学に進んだ。