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巨人・落合vs松井の不仲説「2人が話すのを見たことない」…初対面で19歳松井秀喜がまさかのミス「30分遅刻」、40歳落合博満は何と言った?
posted2024/10/10 11:01
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
KYODO
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が発売され、即重版と売れ行き好調だ。その書籍のなかから、「落合博満vs.松井秀喜」を紹介する。1995年シーズンで原辰徳が現役引退、“新四番争い”がスタートする。【全2回の後編/前編も公開中】
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初対面で30分以上遅刻した松井
「元気なオジサンが頑張ってますから、僕も負けないようにしたいと思います」
1996年のキャンプイン前にフジテレビの『ニュースJAPAN』に出演した当時21歳の松井秀喜は、あえてそんな言葉を口にした。“オジサン”とは、チームメイトで四番を争う球界最年長選手の落合博満のことである。
ふたりの出会いは、落合の巨人へのFA移籍が決まった1993年12月、報知新聞社がセッティングした東京會舘での対談企画だった。この日、松井は渋滞に巻き込まれ30分以上も遅刻してしまう。しかし、先に着いて競馬新聞を読んでいた落合は怒るでもなく、「オレは練習が嫌いだとは言うけど、練習をしなかったとはひとことも言ってない」と、当時プロ1年目を終えたばかりのまだ10代の松井に練習の大切さを説いたという。
「ただ、とにかく振ったやつが最後に勝つんだという、それが一番印象に残っていますね。僕はあのとき19か20歳くらい。向こうは40でしょう……昭和28年生まれって聞いてびっくりしたのは覚えています」(Number751号)
「ボクから聞きにいくことはない」
いつの時代も若者にとって20歳上の人間は先輩やライバルというより、ほとんど父親に近い年齢差である。生まれた時代も違えば、価値観も違う。ふたりは決してプライベートで仲良く飲みに行くという関係ではなかった。落合はキャンプ中に部屋でひとり鍋をつつく個人主義者だったし、松井も群れるタイプではない上に、チームの一軍野手の中で飛び抜けて若かった。寮では読書をしたり、ビデオを眺めて過ごす。日本テレビの密着カメラを向けられ、ウォークマンで尾崎豊の歌を聴きながら、黙々と洗濯をするニキビ顔の松井はどこか孤独にも見えた。
「松井が入った頃の巨人は仲良しグループみたいな雰囲気があったんですけど、松井はそういうのに馴染めないでいた」(Number828号)
長嶋監督の専属広報だった小俣進はそう証言しているが、いわば当時の巨人の雰囲気に馴染めないふたりが、三番と四番のクリーンナップを組んでいたわけだ。なお、松井は落合の巨人加入直後にこんなコメントを残している。