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「カメラマンの“あーあー”という表情が見えて」ドラフト生中継でまさかの指名漏れ…ロッテ・佐藤都志也が振り返る「一人で泣いたあの日」
text by
梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara
photograph byKYODO
posted2024/10/24 11:01
ドラフト会議で指名を待つ東洋大時代の佐藤都志也
寮に戻って流した涙
ドラフト会議が終わると「今日はお集まりいただきありがとうございました」の言葉だけを気丈に残し、その場を去った。両親にも「わざわざ来てくれたのにごめんね」と謝った。チームメートも複雑そうな表情を見せた。なんと言葉をかけていいかわからない仲間もいれば、あえて冗談を言ってボディータッチをしてくる友もいた。みんなそれぞれの方法で気を使ってくれていた。それらすべてが思春期の心に響いた。まだ17歳の高校生にはあまりにも厳しい時間と場所だった。
「その場では涙は出ませんでした。でもそのあとは泣いた」
みんなの前では辛い表情は見せなかった。寮に戻って一人になったとき、涙がこぼれた。
「辛さも悔しさも恥ずかしさも…」
家族からは「大学に行って4年間、頑張ってこい」とエールを送られた。野球部の斎藤智也監督からも「もう一回、挑戦しろ。大学で結果を出して指名してくれなかった人たちを見返してみろ」と声をかけられた。だからクヨクヨすることはなかった。次の日から木製バットを握って、ガムシャラに振った。
「選ばれなかった直後からバットを振った。半分、悔しさを紛らわすための練習。とにかく振った。辛さも悔しさも恥ずかしさもかき消すには、それしかなかった」
大学は野球と勉強の両方が出来る環境の整った東洋大学を選んだ。2年生の春から一塁手としてレギュラーに定着すると春季リーグ戦では首位打者を獲得しベストナインを受賞。秋も最多安打でベストナインを受賞。確かな手ごたえを掴んだ。
トップレベルの投手をリード
自身を成長させるうえで何より大きかったのは偉大な先輩たちの姿だった。3年時に本格的に捕手として取り組み、その年のドラフトの注目の的だった上茶谷大河(ベイスターズ)、甲斐野央(ライオンズ)、梅津晃大(ドラゴンズ)ら大学トップレベルの3投手をリードした。一つ下には現タイガースの村上頌樹もいた。
プロから注目を集める投手たちのボールを受けた。「これがプロに行く人の球か」と唸った。そのミットでボールをとったことでプロのレベルを正確に測ることが出来た。そして3年時にリーグ優勝に貢献すると大学生最後のシーズンはチームの主将に任命され、名実ともにチームの要として成長していた。
「またプロへの道を描けるように」
「4年生の方々がプロに行くのを見て、またプロを近い場所にあるように感じるようになった。その球をオレは受けていたというのは自信になった。自分も3年生から大学ジャパンに入って、自信が出てきて、またプロへの道を思い描けるようになった」