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ぶら野球BACK NUMBER
巨人・落合vs松井の不仲説「2人が話すのを見たことない」…初対面で19歳松井秀喜がまさかのミス「30分遅刻」、40歳落合博満は何と言った?
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2024/10/10 11:01
巨人時代の落合博満。写真は巨人3年目の1996年、落合は当時42歳
「落合さんの移籍は、もちろん大いに興味があります。でも、ボクのほうから教えを聞きにいくことはないでしょうね。技術は教わるものじゃなく、盗むものだと思っていますから。それが難しいことだというのは、わかっています。ただ、4番打者の存在感とか風格みたいなものは、教わるんじゃなくて、自分の目で盗んでいきたい」(週刊現代1994年1月15・22日号)
「落合さんはファウルがスゴい」
元三冠王の偉大さを認めつつも、教えを請うのではなく、技術を盗む。若い松井にも、松井なりの意地があったのだ。長嶋巨人が初の日本一に輝いた1994年、「三番松井、四番落合」の並びを崩さず、130試合目の中日との同率優勝決定戦まで戦い抜いた。決戦前夜、さすがの松井もほとんど眠れず、異様な雰囲気のナゴヤ球場のグラウンドに立つと足が震えたという。そんな極限状態で、支えになったのは自分のあとを打つ不動の四番打者の存在だった。
「僕は自分にプレッシャーをかけていました。『世間から見れば20歳のひよっこだけど、落合さんの前を打つ巨人の3番打者なんだ。20歳だってやれるんだ』という使命感を持っていました」(不動心/松井秀喜/新潮新書)
そして、“10・8決戦”で落合と松井はアベックアーチを放ち、球史に残る大一番を制するのである。ちなみに松井はプロ1年目を終え、ミズノの工場を訪ねた際に見せてもらったバットが落合のものだった。そのスイートスポットが小さく、極端に先端寄りに重心がある長距離打者向きのバットに衝撃を受け、松井は自身のバットも落合の使う型を参考に毎年改良を加えたという。同僚になり、ネクストバッターズ・サークルや塁上から、神主打法を観察し続けるうちに卓越した技術の真髄に触れる。