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ぶら野球BACK NUMBER
巨人・落合vs松井の不仲説「2人が話すのを見たことない」…初対面で19歳松井秀喜がまさかのミス「30分遅刻」、40歳落合博満は何と言った?
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2024/10/10 11:01
巨人時代の落合博満。写真は巨人3年目の1996年、落合は当時42歳
激戦の疲れを癒やす、東京ドームの風呂場である。他の選手たちが我先にと汗を流してロッカールームを出て行くのを横目に、マイペースの落合と松井はともにゆっくりと帰り支度をして、湯船に浸かった。
「2人とも試合が終わった後、ゆっくりしていましたから、お風呂に入るときはほかに誰もいないことが多かった。私の打撃には悪い癖がありました。どうしても右手が強すぎて無意識に頼ってしまい、スイングのときに右肘が上がる。バットの軌道が変わり、きちんと当たらなくなる。その悪癖を落合さんは早い時点で見抜いていた。直すために左肘の使い方などを教えてくれて『結果がいいから、必ずしもいい打ち方をしているわけではない。このままではそれ以上はいきませんよ』と。将来のためのヒントをいただきました」(スポーツ報知2023年12月5日付)
チームメイトすら知らなかった、ゲームセット後の世代を超えた大打者同士の交流。約20歳差の男同士の裸の付き合いは、まるで落合が松井に己の技術や考えを伝える野球の教室のようでもあった。対話を重ねるうちに、松井はこれまで以上に落合のプレーを目で追うようになる。
「なぜ選球眼がいいのか。なぜ逆方向に打球を飛ばせるのか。打率と長打を高いレベルで両立させる打撃について知りたくて練習から落合さんに目を注ぎ、試合中はベンチで隣に座った。(中略)三冠王3度の打撃を支える思考をどう自分に応用するか。落合さんが意識していることを自分に当てはめ、打席で表現できるかという挑戦だった」(エキストラ・イニングス 僕の野球論/松井秀喜/文春文庫)
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そして、1996年春。プロ4年目を迎えた背番号55は、オープン戦でチーム最多の5本塁打を放ち、12球団トップの20打点を記録する。機は熟した。長嶋監督は、ついにひとつの決断を下す。4月5日の阪神との開幕戦で、超満員の東京ドームにアナウンスされたのは、「四番右翼・松井、五番一塁・落合」だった――。
<前編から続く>