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「お前にはリベンジするチャンスがある」19歳香川真司の“挫折地点” 五輪代表監督にかけられた言葉…日本代表10番を背負う意味を問われ続けて《NumberTV》
posted2024/10/10 11:14
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph by
Kiichi Matsumoto
【初出:発売中のNumber1106号[挫折地点を語る]香川真司「日の丸の重さを突きつけられた」】
「世界に出ていかなきゃ」と意識
当時、世界におけるJリーグの位置づけは今よりも低かったかもしれない。また世界では個の能力を大切にする国も多いが、 Jリーグには組織として戦うことを大切にするカルチャーがある。香川は、W杯の舞台で活躍するためには能力の高い選手がひしめく海外でプレーする必要があると思い知らされたのだ。
「大きなきっかけになりました。『世界に出ていかなきゃ』と意識させられましたから」
実際、香川と長友は、2010年の夏、同じタイミングでヨーロッパへ渡っている。彼らが、北京で味わった挫折を乗り越えようと本気で考えたからだった。
話を戻そう。香川があの大会を挫折地点だと捉えるもう一つの理由は、日の丸を背負うことの意味を感じさせられたからだ。
国際大会に初めて中心選手として出場したからこそ味わえたものがあった。
「世界大会で主力として戦うことで、代表のエンブレムや国を背負う責任感を非常に感じました。それなのに、3戦全敗で、何もできなかったなという......」
さらに脳裏をよぎったのは、アジア予選を戦い本大会の出場権を勝ち取りながら、 最終選考で落選した選手たちの存在だった。
「自分は最終予選には出ていなかったですし......。あの大会を目指している選手がたくさんいた中で、あのようなパフォーマンスで終わったことが本当に悔しかったですし、間違いなく責任を感じる大会でした」
日本代表の10番を背負う責任とは?
香川はこの後、2011年から日本代表の10番を背負うことになる。そこから数え切れないくらい、「日本代表の10番を背負う責任をどう感じますか?」と問われてきた。日本代表の取材を15年以上続けている筆者は、香川ほど背番号の意味を問われ続けた選手は他にいないと断言できる。
そうした質問に対して、彼ははぐらかすことなく、真摯に答え続けてきた。結果が出ていないときには悲愴感が漂うこともあった。それでも彼がブレなかったのは、あの大会で日の丸を背負う責任を知り、真剣に向き合って生きると決めたからだ。
飛行機が成田空港に着き、近くのホテルでオリンピックの解散式を行なった際、反町監督から個別にこんな言葉をかけられた。
「上手くいかなかったが、お前にはまだリベンジするチャンスがある。ここからの10年間、日本のサッカーを引っ張ってくれ」
果たして、そこから2018年のロシアW杯まで、香川は日本サッカー界を背負っていく選手となった。彼が悔しさを成長の糧にできるアスリートだったからこそ、北京オリンピックは意味のある挫折を味わえた舞台だと振り返ることができるのだ。
<前編から続く>
【番組を見る】NumberTV「#6 香川真司 W杯での絶望、勝利への渇望。」はこちらからご覧いただけます。