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きっかけは「両親の死」…40歳になった“元日本代表Bリーガー”が3部チームでの再挑戦を選んだワケ「最後に納得いく何かをつかみたいんです」
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph by(L)Nanae Suzuki、(R)香川ファイブアローズ公式Xより引用
posted2024/10/06 11:02
紆余曲折を経て今季、B3の香川ファイブアローズでプレーする岡田優介。決断のウラには複雑な感情もあった「両親の死」も影響したという
兄妹3人で見守る中、母親は74歳でその生涯を終えた。
「できる限りの支援が出来て、正直、肩の荷が下りたかなと感じられた部分もあったかもしれません。最期は兄妹みんなで看取れた。振り返ってみれば、中学を卒業して以降、もっとも多く顔を合わせていたのがあの時期だったんですよね」
そんな最後の親孝行をしていた時期に、母親から“宿題”を与えられた。
入院してすぐ、岡田はiPadを買いに行った。遠く離れた家族間で子どもの写真や動画を共有できる「みてね」というアプリをダウンロードしてから、母親に渡した。彼女がそのアプリを使って朔玖君の成長ぶりを見るのが好きだったからだ。朔玖君は母親にとっての初孫である。
前述の通り、母親とは言葉を介したコミュニケーションはほとんど取れなくなっていた。にもかかわらず、タブレット上で朔玖君の写真や動画に目をやるとき、笑みを浮かべ、画面を見つめ、ときにはスクロールしようとする“祖母”の姿があった。
「最後まで記憶に残っているのは、朔玖のことなのか……」
「バスケ選手としての最期をどう締めくくるか」
日に日に弱っていく母と、孫という存在の大きさ、朔玖君の持つ引力。目の前で様々な情報が交錯し、岡田の思考は止まらなかった。
「よく使われる『選手寿命』という表現は、言い得て妙だなと感じますよ。アスリートは『2回、死ぬ』と僕は考えていて。現役選手としての終わりと、人生の終わりの2回です。母とのことは、この先の人生の予行演習だったのかもしれないとも感じました。自分が人生を終えるとき、息子や家族に対して、何を残すべきか。親とはどうあるべきなのか。考えさせられました」
岡田はいま40歳だ。2人の子を持つ父親として人生を締めくくるために何ができるのか。それは常に考えているが、バスケ選手としての最期をどう締めくくるかも大切にしたい。自分の人生を捧げてきたのがバスケなのだから。
今年5月、アルティーリとの契約が満了になったタイミングで投稿したメッセージの背後には、そんな想いも含まれていた。
「キャリアの最後に、納得のいくような何かをつかみたいという想いがあります。誰が悪いというわけではないですけど、昨シーズンのアルティーリではそれは得られなかったので……」
そこからは様々なチームの首脳陣と話をする機会があった。交渉まで進むこともあれば、意思確認で終わったケースもあった。
そのなかで「本気で自分のことを必要としてくれる」と感じさせられたのが香川ファイブアローズの人たちと話したときだった。3部リーグにあたるB3を戦うチームで指揮を執る藪内幸樹ヘッドコーチは京都時代のチームメイトで、同級生でもある。彼を筆頭に、香川の首脳陣は高く評価してくれた。
「一人のプレイヤーだけではなく、一人の人間としても評価してもらえて。『うちはクラブとして発展途上だから、今までの知見や経営経験をフロントスタッフに見せることもプラスになるんです』と言われました。バスケの面では、勝負の決まる最後の5分で必要とされたり、B3で優勝してB2に昇格させることを僕は目指しています。チームに欠かせない選手として、バスケに『参加』したいんです」